知への欲求を すべての学び手に 「政治・経済」対談(鈴木寛)
高校公民

身近な問いの先には、学問的な知見に支えられた豊かな議論が広がっています。
今回は、「政治・経済」教科書総監修の鈴木寛氏と、「すずかんゼミ」卒業生でもあり、教科書の監修執筆を担当された渋谷教育学園幕張高等学校の吉田真大先生にお聞きしました。政治や経済の課題と真正面から向き合うための新しい教科書とはどのようなものか、教科書が目指した学びの姿について語っていただきます。
はじめに 「政治・経済」参入の理由、教科書の特性
編集部 まずは、「政治・経済」の教科書をつくった経緯からご説明いただけますか?
鈴木 「公共」では、新しい学習指導要領の精神を体現するかたちで、従来の教科書とはかなり違った挑戦をさせていただきましたが、ありがたいことに多くの学校現場から高い評価をいただきました。そうした経験を踏まえ、公民科の集大成とも言える「政治・経済」でも、「公共」の理念を踏襲しつつ、新学習指導要領の精神に真摯に応える教科書を世の中に提示したいと考えました。
特に「政治・経済」は、科目名が変わっていないため、変化が見えづらい面があります。しかし、政経は入試科目でもあり、公民科教育における集大成的な位置づけを考えれば、この科目こそが新たな学びのあり方を示す場であるべきだと考えたのです。
今回の学習指導要領の高等学校部分における本質は、社会科の学問観ともいえる、学びの観点の根本的な転換にあります。さらに言えば、社会科の再編と「総合的な探究の時間」の導入が、改革の二本柱です。その意味で、公民分野を本気で変えていきたかったということですね。

吉田 現場教員の間でも、「公共」でせっかく対話的な学習をしたのに、「政治・経済」に進んだとたんそこで途切れてしまい、また昔のような授業に戻ってしまうことへの「もどかしさ」があったといいます。公共で得た学びの土台をその後の学習で発展させていくためには、やはり一貫した理念をもつ教科書がセットで存在することに意味があります。
編集部 教科書の魅力はどんな部分にありますか?
鈴木 やはり熟議の実現を目指す教科書である点ですよね。これまでの公民科は社会で語られている事象を理解し記憶することが中心でしたが、これからは、理解をした上でちゃんと「自分のオピニオンを形成する」公民科に向かっていきます。加えて、自分だけではなく他者の意見もとり入れながら課題解決を目指すための教科書であるということは、強調したいところです。
吉田 執筆の過程で、政治や経済の問題をいかに高校生が自分ごととして考えられるかに徹底してこだわりました。象徴的なのは、教科書の冒頭が地方自治から始まることです。現実問題として、全国の高校生全員が「自分ごと」と感じられるような社会問題は中々ないのですが、それでもできる限り多くの生徒に関わる問題としてプロローグ「学校から地域へ、部活動改革の未来を考える」(p.013〜p.015)を用意しました。これは公立・私立、地域を問わず身近に感じやすいテーマですよね。
もう一つ象徴的だと思っているのが、プロローグ「ブラック校則は人権侵害か?」(p.039〜p.041)です。多くの生徒にとって、憲法学習は「大事だとわかってはいるけど、実感をもちにくい」学習単元の筆頭です。しかし、校則という身近なルールが基本的人権と関わるものであり、さらには裁判の争点にもなり得るものなのだという点から、人権保障の枠組みを多面的にとらえていきます。
一方で、「政治・経済」の教科書では、導入としては身近な事例を用いつつも最終的にはアカデミックな議論へと繋げていこうという意志が明確に表れています。経済学のバックグラウンドをもつ執筆者が中心となり、この点を強く意識しました。
政治分野でも、たとえばプロローグ「選挙は人気投票なのか? 投票の意味を考える」(p.029〜p.031)では有権者の投票行動を数理モデルで表現したライカー=オードシュック・モデルの考え方を取り入れています。このように、いわゆるポリティカル・サイエンスと呼ばれる分野の知見を活用するなど、現代的な意味での学問的な視座を取り入れているところは注目していただきたいです。

鈴木 「巨人の肩に乗る」という表現がありますが、「政治・経済」では、先人たちが到達した蓄積を踏まえた上で、今の社会の文脈に即して自分の意見をつくるという、アカデミックな姿勢に重きを置いています。「公共」では自分の意見をもつこと自体に主眼を置いてきましたが、「政治・経済」はさらにもう一歩、知的な土台に立脚した上での議論へと導く構成です。これは、大学や実社会との接続を意識するなら、非常に重要な視点となります。
大学入試の傾向と対策
編集部 入試対策という面で、この教科書が語れることはどんなところでしょうか?
鈴木 実のところ、大学入試を作る側にも、この教科書をぜひ参考にしていただきたいと思っています。入試の制作現場では学習指導要領と教科書の両方が参照されるので、高校でどのような学びが行われているかは常に意識されています。
この教科書は、高大接続を意識した設計により、大学での学びと構造や本質が非常に近いのです。そのため、大学側から見れば、より入試を作りやすくなったと思っていただけると思います。大学が「本来問いたかった力」を問いやすくなっているはずです。
吉田 「政治・経済」という科目は今、大学入試からは姿を消しつつあり、地理歴史と比べると主要な選択科目とは言い難い状況になってきました。
一方で、大学入試全体は一般入試から総合型選抜へとシフトしつつあり、一般入試であっても「総合問題」といった新しいタイプの出題形式が増えています。そういった場面で政治や経済に関する知識が問われるようになっているんです。それも、単に用語を覚えているかということではなく、多面的で深い洞察が求められます。それに対して、この教科書はしっかり応えられるのではないかと考えています。
鈴木 同時に、18歳で選挙権をもち、契約の主体にもなるという今の社会を真摯に受け止めてつくられたのが、この教科書です。だから単に政治や経済の知識を理解するということではなく、有権者として、消費者として、あるいは将来雇用者になる可能性も含めて、自分が当事者となって社会に参加する時、どれだけのリテラシーをもっていなければならないのか、それを真正面から問う構成になっています。
大学入試もまた、知識ではなく「社会の主体的構成員としての資質」を問う方向に変わってきています。社会科学とはまさにそうした力を養う学問ですし、この教科書もその視点でつくられているので、入試と高校教育の両面から繋がっています。
吉田 大学入試は大きく変わったと言われていますが、見方を変えれば、本来問うべきものをやっとちゃんと問うようになった、とも捉えることもできるかもしれませんね。
鈴木 その通りで、これまでの入試は、どちらかといえば「ふるい落とす」ためのものでした。しかし、大学入試とは本来、「その大学で本格的に学ぶ準備ができているかどうか」を問う試験です。準備ができている人には、どうぞ入ってきてくださいというメッセージなんです。そういう本来の役割に入試がやっと近づいてきたし、そこにちゃんと応えていく意味でも、教科書の目指すところは合致しています。
今回の共通テストを巡っては、高校ごとに明暗が極端に分かれたようです。この結果は、各高校や教員の指導方法が、新しい共通テストの方向性と一致していたかどうかによるものです。
ここ数年、探究的な指導をしてきた学校はいくつもあり、そうした学習を取り入れてきた学校は成績が向上しました。反対に、これまで通りの暗記型入試対策を続けてきた学校は苦戦する現象が起こっているわけです。こうした状況はすでに予測できていました。教科書は、新しい共通テストの出題傾向と目的を共有することを強く意識してつくっているため、今求められている学びを促進するものになっていると思います。
最近は、地方国立大学の多くが二次試験で論述式の問題を導入するようになりました。かつては大学入試センター試験の結果でほとんどが決まっていた大学でも、今は記述・論述によって、現代の課題をどうアカデミックに捉え、多角的な視点から論じることができるのかが問われます。都市圏よりも、むしろ地方国立大学の進学を目指している学校にこそ、この視点は重要です。入試改革の影響を最も受けているのが、地方国立大学だからです。

編集部 私立大学の傾向はいかがでしょうか?
吉田 私立の傾向が表れる典型例として、早稲田大学政治経済学部の総合問題が挙げられます。これは「政治・経済」という科目名ではないのですが、実質的に政治経済に関わる、しかもちょっと深い思考を要求される問題が出題されています。私学のトップがこうした問題を導入している以上、中堅私学もそれに続くことが予測できます。
入試についてのこの傾向が続くことは、もう確実です。今後数年をかけて従来型の筆記試験はどんどん補足的な位置づけになっていき、高校生が社会とどう向き合って何を考えてきたかを直接問うような入試方式が、さらに増えるはずです。
最近ニュースになった東京大学の新学部「カレッジ・オブ・デザイン」も一般選抜(筆記試験)とは異なる特徴的な入試を行うと表明しています。いよいよ東大もその方向に動くとなると、こうした流れは当面止まらないでしょう。そうなってきたとき、じゃあ学校の授業では何を提供できるのかといえば、つい深く考えこんでしまうような問いを提示して、それに対して生徒が出した意見を膨らませつつ社会科学的思考につなげていくことなのかなと思います。
鈴木 大学入試は社会科学者である大学教員が作っているので、入試にはもう既に新しいものを出し始めています。そこでの常識、要するに大学で社会科学を研究している大学教員の常識と、高校で政治・経済を教えている高校教員とのギャップを繋ぐ必要があります。少なくとも大学側からすれば、ちゃんと追いついてきてよね、と期待しています。
知の生成プロセスを学ぶ
鈴木 これまでの選考は、問われたことに対して一方的に答えるだけで評価されてきました。ところが、これからは対話を通じて理解を深め、意見を発展させていくプロセスを身につけている人なのかどうかが問われるのです。単に知識があるだけでなく、「知が生成されるプロセスを理解し、習得しているか」が試されます。
知とは固定化されたスタティックなものではなく、生成され、ダイナミックに変化するものです。多様な情報を収集・編集する、いわば共同編集の中で、知は生み出されます。そのような「生成知」が今後はより重要になります。私たちは、そのプロセスを促進する材料の提供を目指しています。
吉田 社会科学の知の生成プロセスにおいて、両輪とも言えるのが「理論」と「実証」です。科学的な知識とは本来、複雑な現実を大胆に抽象化することによって理論を構築し、それを実験や観察によって実証することによって成り立ちます。社会科学も「科学」である以上、完全ではないにせよ同様の性質をもっています。ところが、従来の公民科教育は知の発展の「成果」を教えてはくれるけれど、発展の「過程」をちゃんと教えてはいませんでした。この点については、授業内で積極的に実験を行う理科を見習うべきだと言えます。
教科書のプロローグを見ていただくと、「選挙は人気投票なのか? 投票の意味を考える」(p.029〜031)では有権者の投票行動を表すモデルが、「日本の経済成長を考える」(p.095〜097)では一国の経済成長を説明・予測するモデルが、「気候変動問題のジレンマをどう解決するか?」(p.161〜163)では環境問題に対する国家行動を表すモデルが取り入れられています。これらのモデルは現実のある側面を的確に表現しているのですが、適用できない部分もある。注意しなければならないのは、これらのモデルは決して「100%正しいことが保証された最終解答」ではないということです。

吉田 少し話題が逸れますが、生成AIの教育利用を議論する文脈で、AIがハルシネーションを起こすことを理由に否定的な見解が述べられることがあります。確かにそれはそうなのですが、逆に「教科書に書かれていることは正しいことが保証された最終解答である」という認識があるとしたら、むしろそちらの方が有害でしょう。科学とは、理論と実証のサイクルを回して知識を更新するプロセスそのものですし、自らが間違っているかもしれないという可能性を受け入れることそれ自体が、我々が身につけなければならない資質なのだと思います。これは、真理を探究する上で望ましいだけでなく、熟議を実現するために必要な市民としての資質でもありますよね。
ただ、「理論」を積極的に取り入れているのに対して、「実証」の部分は正直に言うとこの教科書でも充分に扱えていません。現在、その部分を補う副教材を準備しているところなので、いずれはそちらも活用していただきたいと思っています。
鈴木 大学教員に加えて、「政治・経済」では執筆陣に高校教員の皆さんにも多く加わっていただきました。ご自身も今なおいろいろな研究をしていらっしゃる方がほとんどで、そのあたりも色濃く反映されています。まさに、高校の新しい教員像をつくっている人たちによって書かれた教科書です。
吉田 ただ、繰り返しになりますが、最終的には社会科学への橋渡しとなることを目指しつつも、あくまで導入は親しみやすいものであるべきだと思います。私自身も授業では学問的な掘り下げを意識していますが、教科書が提示する漫才や4コマのような、ちょっとくだらない敷居の低い場所から入っていくやり方はわりと取り入れているんです。やはり、最初のハードルが低いほうがいい。そこは高校である以上、大学との違いとして意識しなければいけないところだと思っています。
鈴木 間口は広く、しかし非常に高みまで連れていく。高校生には、最終的には自分で高みに登っていけるような学習者になってもらうことを期待しています。その時に、最初はしっかりと補助してあげるけれど、少しずつ意図的に補助輪を外していき、最後は自律的学習者になってもらうイメージで作りました。
先生と生徒にとっての「政治・経済」
編集部 「政治・経済」を教える先生に意識していただきたいことはありますか?
鈴木 政経選択者が大学でどんな学問分野に繋がっていくかというと、実際、大学生の専攻で最も多いのは社会科学系なんです。しかし、高校まではいわゆる国語だとか人文的なこと中心にやってきて、大学になった瞬間に社会科学、法学、政治学といった分野に突然向き合うことになるので、生徒たちはそこのギャップに戸惑うんですよね。
今回の教科書は、社会科学の基礎的な視点を高校生目線で先取りして学べるように設計されています。大学で社会科学を学びたいと志向している人にとっては、大学で学ぶように学び始めることもできます。
吉田 細かい話をすると、これまでも政治や法については、法学部や政治学部での学びの基礎にあたる内容は一定程度含まれていました。しかし、経済に関しては高校と大学の間に大きな断絶があります。ここを埋めていかないと、生徒・学生の学びが場当たり的なものになってしまう。経済学の基礎にあたる内容を、ではどのように高校の教科書に落とし込んでいくか。この点は、長期的には数学科との連携を進めていかなければならないところだと思います。
加えて、経済学そのものもここ最近で大きく姿を変えました。20世紀後半、経済学はほとんど「応用数学」と化していた時期もありましたが、1990年代以降は正統派の「科学」としての色彩を強め、実証主義的な性格が強くなっています。昨年ノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグルも、このような方向転換を牽引した人物の一人です。
現実世界から取ってきたデータを理論に当てはめ、予測が合っているか合っていないかを検証し、もし合っていなかったらそれを修正していく。政治学や社会学においても、こうした実証主義化の傾向は強まっていると言えるでしょう。教員である私たちは、そうした知のダイナミズムに応える必要があります。

鈴木 大学で扱われている現代の社会科学のエッセンスと高校教育との接続は、かなり意識しましたね。この40年、社会科学は大きく変化しました。しかし、これまでの「政治・経済」の教科書は、僕が高校3年生の時に学んでいた政経の教科書とほとんど中身が変わっていなかった。そういう意味では、40年間続いてきた教科書に慣れ親しんできた方々は新しい教科書に違和感を覚えるかもしれません。しかし、日本の高校における「政治・経済」の学びを次のステージへと引き上げるためにも、教員の側も知識をアップデートする必要があります。
編集部 先生たちにも、新しい気持ちで学問に触れていただける教科書ということですね。
鈴木 そうです。先生たちにも、また学び直していただく。社会科学というのは、やはり世の中で起こっている事象を明確に捉え、解明し、それを応用しながら社会をより良い方向へと導いていく実践的な性格を強くもった学問ですから。
そして、学問的な進展以上に、現実世界がこの20年で大きく転換しています。特に、金融政策、国際政治学、安全保障論といった分野では、その変化が顕著です。これらの領域に関する政策形成の実務の場では、すでに直近20年の常識を前提に議論されるのが当たり前となっており、もはやそれ以前とは完全に別世界です。にもかかわらず、従来の教科書では「基本から入る」という建前のもと、現実との乖離が大きすぎる内容になっていました。今回、ようやく現実に即した形にアップデートされたことには、大きな意味があると感じています。
吉田 金融政策についてはプロローグ「慢性デフレとアベノミクス」(p.103〜105)で、安全保障論についてはプロローグ「日本は世界の核軍縮をどう進めていくべきか?」(p.153〜155)で、それぞれ現場に無理のない範囲で現代的な常識を取り入れることを心がけました。特に安全保障政策について、安全保障環境の変化を理由に短絡的に既存の制度や条文を変更することは認められませんが、一方で議論するために必要な知識が変化していることには応えなければなりません。
ただ、金融政策に関しては、日銀によるETF買い入れの背景と影響など、一部の重要なことがらは依然として充分に掘り下げられていません。これは現行の公民科のカリキュラムにおいて「リスク」というものが金融的な意味でしっかりと扱われてこなかったことによるのですが、プロローグ「奨学金の金利はどう決めるべきか?」(p.079〜081)がこの問題を解決する布石になればと思っています。
編集部 ありがとうございました。