「社会科新科目・公共でなにを学ぶのか」鼎談・鈴木寛×倉石寛×大野新【後編】

2022年度から始まる高校社会科の3つの新必修科目について識者を招いた鼎談の後編です。「公共」から鈴木寛さん、「歴史総合」から倉石寛さん、「地理総合」から大野新さんの3人にこれからの社会科教育の目指すべき方向、先生の役割、主体的・対話的で深い学びの実践についてお話いただきました。

鼎談・鈴木寛×倉石寛×大野新【前編】

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鼎談の収録はオンラインで行れた。

新科目「公共」で何を教えるのか

鈴木寛__前半で大野さんから、公共が出口、地理が入口というお話がありましたが、私も同感です。たとえば、公共の重要なテーマの一つに、公共施設の立地についての「NIMBY(ニンビー)問題」というものがあります。”Not In My Back Yard”の頭文字をとってこういうのですが、これはつまり「ごみ処理施設はなるほど必要だ、でもうちの裏庭には作ってくれるな」という話ですね。この問題を考えるときに大切なのは、どこまでが自分の庭で、どこからが他人の庭なのか、まさに地理的な観点です。たとえば日本は福島にいくつも原子力発電所を建て、電力の多くをこれに依存してきました。これが歴史的にいつ始まり、地理的にどのような理由で福島だったのかということをまずは知らなければならない。そして、誰と誰が摩擦を起こし、何と何が板挟みになっているのか、NIMBY問題の所在を明らかにする。これが「歴史総合」「地理総合」の役割だと思います。その上で、これを解決するためにどのような事が考えられるのかを問うのが「公共」の主眼になります。

ですから、たとえば「モンテスキュー、法の精神、三権分立」と教科書に書いてあることを通り一遍に教えていてはダメです。もちろん三権分立は権力が互いにけん制しあうという、とても重要な概念です。しかし、なぜけん制し合うことが必要なのか、権力の当事者たちはどのような関係にあるのか、構造的な理解が伴わないと意味がありません。

総合型選抜と課題解決型学習

鈴木_大学入試の話につなげれば今回「総合型選抜」という、探究活動や特別活動など高校時代の活動を重視した選抜試験が始まりました。これまでは慶応SFCなど一部でしか実施されてきませんでしたが、国立大学でも定員の約3割をこの試験の合格者に充てていくことになりました。すでに2020年度の国立大学の入試でも約2割を越えています。

この試験で問われるのは、PBL(Project Based Learning)です。課題解決型学習と訳されますが、高校生活の中でどのような問題意識をもって学んできたか、そして大学でそれをどのように究めていきたいのかが問われます。課題や問題意識をしっかり持った生徒に大学は来てほしいわけです。そのような文脈で捉えると、社会科はやはり重要な科目であると言えるでしょう。

これからの社会科の先生の役割

大野新__私は長い間、現場の地理教員として中学・高校で教鞭を取ってきました。国立大学の附属校ということもあって比較的自由に授業をやれたこともあり、ディベートをやったり実際に現地に行ったり、課題解決型の授業に力を入れてきたつもりです。その経験から言うと、先生はファシリテイターに徹するということが重要です。よほど議論が危険な方向に行かない限りは極力介入しない、生徒の議論も見守り道筋を作っていくのが先生の役割になります。

先ほどから議論されてきたように「歴史総合」「地理総合」「公共」はいずれも、どのように現実社会を捉えるか、ということに重きが置かれています。したがって教材は現代社会の中にいくらでもあるんですね。ただこれまで行われてきた日本の教育を考えると、どうしても結論を出さなければならない、ある一定の落とし所に持っていかなければならないという意識が先生には強くあると思います。しかし現実社会の課題に向き合えば、そのような模範回答は簡単に出せません。より重要なのは、授業の中でクラスの仲間がどんなことを考えているのか、その考えはどこから生まれたのか、意見が対立したときにどうしたら協調できるのか、そのような生徒の主体的な議論が形成できる空間を作るのが先生の役割になると思います。

確かにこれは教育方法の大転換になるので、これから試行錯誤することになると思いますが、一方で欧米ではすでに当たり前のようにやっていることなんですね。

安心してモノが言える学校とは?

倉石寛__3年ほど前に千葉県にある小さな学校に見学に行ったことがあります。校名に「研究の杜」とある学校で(暁星国際ヨハネ研究の杜コース)、ほんとに教えないんです(笑)小中高一貫校で生徒たちが自分で問いや課題を立てて勉強していくのですが、とにかくよく議論や対話をする。一応授業の時間割はあるんですが、それを過ぎても授業が終わるわけではないと生徒は言うんです。なぜこんなに意欲的なのか?聞いてみたら「安心してモノが言えるんです」という答えが返ってきました。「こんな事言ったら馬鹿にされるんじゃないか」生徒はもちろんですが先生にも「答えられなかったら」といったプレッシャーが普通はあるものですが、ここではそれがない。ではなぜ「自由にモノが言える」環境が出来ているのかというと、ある女子生徒がこんなことを言っていました。「言葉のやりとり以外に、話しぶり、表情、いろんな情報のやりとりがあって、お互いに相手が何を伝えようとしているか、汲み取り理解しようとしている」つまり、うまく言語化できない、上手に議論に参加できない生徒がいても、みんなが助けてくれるんです。そうして自分が考えている以上のことが対話から生まれてくる。これはまさに文字通り「対話的な学び」です。先生と生徒もかなり長く深い対話をする。たとえば進路相談でも1回3時間くらい、6回くらいかけてやるそうです。時間をかけてじっくり対話することで、本人も気付いてなかったことが明らかになるというのはよくあることです。

先生は「教える立場」から「ともに学ぶ立場」へ

倉石_こうした主体的な学びが生まれるもう一つの理由は、先生と生徒の関係です。普通の学校では先生は教える立場で生徒は学ぶ立場で、そこにいわば上下関係がありますが、この学校では「生徒は研究員で、先生は主任研究員」なのです。つまり同じ学ぶ立場に立っているわけです。先生の方がちょっとだけ知識や経験が多いくらいで両者に大きな違いはないということです。先ほどの大野さんの言葉を借りれば先生はファシリテイター、いわばガイド役で授業全体をコ-ディネイトしていく存在なのです。いろんな人が授業に参加するので。

このような考えに立てば、先生もかなりやりやすくなるのではないでしょうか。生徒に質問されて答えられなかったら馬鹿にされるという心配や、あるいは保護者からのクレームに怯えるというようなことはなくなります。生徒と一緒になって考えて答えを出していけばいいんです。

「主体的、対話的で深い学び」は今回の新指導要領の重要なキーワードですが、そんなのは理想論で現実には受験勉強をやらざるを得ない、という先生たちの声はよく聞きます。しかし進路相談でも、偏差値を基準にこの大学、もっと頑張ればあそこの大学というのでなく、生徒が本当に何を学びたいのか対話を通じてじっくり掘り起こしていき、その先に大学入試があるというようにガイドしてあげるのが先生の本来の役割だと思います。

大学入試改革は地域ですすむ

倉石_もうひとつ実例をあげると国立島根大学では「地域志向型入試」という制度を採用しています。これは将来、地元地域のために働きたいという生徒を積極的に入学させる制度で、全学部にあります。面白いのは入試方法で、1回限りのいわゆる面接ではなく大学職員との面談を行っています。面談はたとえば「どんな街を作っていくのか」について職員と対話して考えていくような、ワークショップに近い形になります。この「地域志向型入試」に向けて、大学と高校が連携して街づくりや地域の課題に対する探究活動に参画しているのです。こうした探求型学習とAO入試を結びつけた入試改革は、これからどんどん加速していくと私は思っています。さまざまな形で、いろんな時期に大学入試が行われるようになれば、嫌が上でも高校教育も変わっていかざるを得なくなるでしょう。