「哲学対話」先生と生徒が共に考えるアクティブラーニングな授業

「公共」における哲学対話の可能性

哲学対話では、様々な意見に触れることで、視野が広がり、意見の変容が度々起こります。「公共」でも「多面的・多角的な観点から考察する」ことを学習活動に取り入れることが期待されていますから、その点で哲学対話が非常に効果的な学習活動だと感じます。ただし、「公共」で実施する場合には科目の知識が前提になりますが、哲学対話は話し合いやすくするために基本的には知識を前提とせずに、参加者が日頃感じている「経験」をベースとすることが一般的です。

しかし、この問題は「テーマ」を設定することである程度回避できると考えられます。たとえば、今回の「死ぬってどういうこと?」という問いなら、ハイデガーの実存主義の単元のまとめ学習で導入することができます。他にも功利主義の単元で「幸せ」というテーマで問いを考えたり、フロムなら「愛」をテーマに対話をしたりことができるでしょう。こうした点から、内容A「公共の扉」における倫理分野で、各単元のまとめとして取り入れることが効果的かと思われます。ただし、テーマ自体をその単元に関係づければ、「地方自治」や「社会保障」など、どの単元でも応用可能だと思います。それほど汎用的な学習活動として、哲学対話は位置づけられます。

しかし、教科学習に哲学対話を応用することによって、参加者は問いを出しづらくなることが予想されます。というのは、哲学対話の前提は考えを深めやすくするために「経験」を思考の出発点においている点にあります。だからこそ、日頃の悩みや人生観など参加者が本気で向き合いたい問いを考えるわけですが、「知識」を前提にすれば、思考の幅は狭められてしまいます。そもそも知識が定着していなければ、考えたい問い自体が全く浮かばないかもしれません。こうした懸念はありますが、私自身は教科の中でも哲学対話を実施していますし、あくまでもどちらを重視するかというグラデーションの問題だと思います。学習者が「考えること」を重視するのか、「知識の活用」を重視するのかによって、テーマを設定するか否かを決めていけば良いのかなと思います。

私の専門である熟議民主主義においても、合理的な討議を通じて、より妥当な意見へと考えを変容していくことが重視されています。現代社会は直感やニセの情報をもとに意思決定をしてしまう「ポスト・トゥルース」の時代と言われています。そうした時代において、多様な観点から理性的に自分の考えを振り返り、不断に見直していく哲学対話は、主権者教育の中核的科目とされる「公共」において意義のある学習活動といえるのではないでしょうか。

参考文献

■梶谷真司(2018)『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』幻冬舎

■河野哲也・得居千照(2017)「子どもの哲学の評価法について-理論的考察と江戸川区立子ども未来館での実践を踏まえた提案-」立教大学教育学科教育年報

■特定非営利活動法人こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ(2019)『こども哲学ハンドブック 自由に考え、自由に話す場のつくり方』アルパカ

■堀越耀介(2020)『哲学はこう使う 問題解決に効く哲学思考「超」入門』実業之日本社

島本優朗 広尾学園中学校・高等学校教諭

中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。
2018年より東京学館高等学校にて教諭(地理歴史・公民科)。2019年より現職(社会科・公民科)。
研究テーマは熟議民主主義、シティズンシップ教育。