私たち教育図書株式会社は、中学校・高校の教科書や教材を出版している会社です。 教育図書NEWSは主に学校の先生や教職関係者のみなさまに向けて、教育に関する独自の記事を発信しています。すべて無料でご利用いただけます。

書道 NEWS

教えて!書道教育のあれこれ 
第3回:生徒の実像・目指す生徒像

高校の書道の先生は、学校の中で1人ということが多いのが現状です。特に若い先生や講師の先生が、授業の進め方や指導方法などで困った時、誰に相談すればいいのか。そんな悩める先生方のために、教員歴30年超のベテラン先生が、書道教育のあれこれを連載で紹介していきます。第3回は生徒の実態から目指す生徒像を語ってもらいます。

書写からの脱皮を促す

書道に対して生徒の実態はいかがでしょうか

高校に入学して書道を選択してくる生徒は小中学校の書写のイメージで選択してきます。毛筆で書きたい、あるいは今まで毛筆で書いて褒められたことがあるとか、大体そういうような生徒が書道を選択してきます。書写と書道の違いを意識していることはほとんどありません。一般の方も同様だと思います。よく年配になって書道なら体力もそんなに使わないからできそうと思い、カルチャーセンターとか書道教室とかに通って習い始める方がいますが、多くの人は、 書道の本質を知りたいからではなく、「自分の書く字をどうにか直したい」「筆で綺麗に書きたい」といった動機で始める方がほとんどでしょう。
どの高校の書道の先生も書写と書道の共通性と相違を授業の中で伝えていますが、なかなか生徒に理解してもらうのは難しいです。でも伝えないと伝わらないので伝えることは当然必要です。そういうことを理解した上で、例えば楷書を書けば、文字は変わってくるのです。楷書は点画との組み合わせだけではない、つまりパーツの一つ一つがこういう形になっているから全体のバランスが取れているのだとか。そういうことがだんだん分かってくるのです。もちろん楷書というのは構築的な文字なので、点画の構成を意識しますが、それだけではない、もっと有機的な視点で楷書というのを捉えられるようになってくると、書く字も変わると思います。

書道は学習する内容がたくさんあります。古典をやらなきゃいけないし、いろいろな書体をやります。漢字だけではなく、約1000 年前ぐらいの仮名もやります。その中で、生徒たちがどれに興味を持って、それを美しいと思ったり、力強いと思ったりするのか、「これもいいね、あれもいいね」という生徒もいますし、「これはちょっと・・・」という生徒もいます。生徒の反応はいろいろです。でもそれはそれで悪いことではないと私は思います。

私も高校生ぐらいの時に経験しましたが、小説を読んで、今読んだ時と年を取ってから読むのとでは全然違うぞみたいなことを言われました。書もそうだと思います。高校生にわかるものもあるし、高校生の時はよくわからなかったけれども、年を経ってからわかるものもあるだろうと思います。教科書に載っていると、全部いいと思わなくてはいけないのではないかと生徒たちは思うのです。だから、「あまり好きじゃないと思ったっていいよ」と私は生徒によく言います。

教科書の古典には書き損じたものが載っていたり、その人のその時の感情そのままが出ているものもあるのですが、他の教科の教科書にそういうものはほとんど載らないでしょう。そういう意味では、書道はまるごと人間を学ぶという科目でもあると思います。こういった部分も、一般の方々が持っている書道のイメージと、もしかしたら違うのかもしれないですね。

書の古典は実際に勉強してみると実に面白いものです。人間がさらされていますから。視点を示すことで見方を広げてあげたりすると、本当に面白いと思ってくれる生徒もいます。逆に、小中学校の時に整えて書くことに専念したような生徒というのは、いろいろな書体を学ぶと困ってしまいます。「こんな書体もあるよ」「あんな書体もあるよ」と言うと、「私は楷書で端正に書くのが好きで、行書などは好きではありません」という生徒もいます。とにかく綺麗な字だけを書きたいということなのでしょうね。

生徒の変容を支援する

技能の上達や自分の表現への移行がスムーズなのは、どのような生徒でしょうか。

自分が好きなものが見つかって、それにのめりこめれば上達すると思います。いろいろなものを見て、その中から自分と引き合わせて、何かしらの自分の世界を広げていくということができる生徒は興味を持って意欲的に取り組みます。そういう生徒を増やしていきたいです。これは苦手だけれども、自分はこういう風にやりたいということをまず持ってほしい。よく、「あなたはどう考えるの?」と生徒に聞きます。特に創作になれば、「どう書きたい」「どんな風に表現したい」、それをイメージできなければ書けません。イメージできていない場合は、ただ筆を動かしているだけで、活字的な字からなかなか抜け出せません。
生徒たちは活字が美しいと思っています。大人でさえそうです。例えばですが賞状や証書などを端正な楷書で書くと、「先生、すごい、活字みたい」と言われます。全然褒め言葉ではないのです。でも、それを言った本人は褒め言葉のつもりで言っています。つまり活字=美しいと思っているのですね。普通、筆でこう書いたら、そんなに整えて書けないだろうと思っているものが書けてあるので、活字みたいという言い方をするのです。

せっかくいろいろな古典を学ぶ機会があるのだから、その中から生徒たちには、好きなものやのめりこむものを見つけて、どんどん世界を広げ、自分というものを発見していってほしいです。

書道の学習を通してどのような人間になってほしいでしょうか。

学習指導要領で言えば、書の見方、考え方という言葉が出てきます。書を通して得た見方、考え方というものが、将来的にいろいろな自分の興味、関心に基づいて進んだ道に生かされてくと思います。書道にはいろいろな表現があります、いろいろな人がいますと言った中で、自分が見極めてきたそれこそ見方ですよね。自分と古典をひき合わせ、そこで自分の見方で古典について考えた経験というのは、必ず将来生かされる場面があります。いろいろなものにチャレンジして、いろいろなものを見て、いろいろな書き方を見ている生徒は 大人になった時にいろいろなところで必ず生きてくるのではないかと私は思います。

ものの考え方というのは1 つではなくて、人によっても違う、時代によっても違う、いろいろな切り口がある。それこそ多様性というところに結び付いていくんだろうと思います。書の世界というのは3000 年以上、漢字だったらもっと時間を経てますし、それこそ多様性と共に変化してきたわけで、そんな書を学ぶということは非常に意義があると思います。

 

関連記事

第1回はこちら

教えて!書道教育のあれこれ 第1回

第2回はこちら

教えて!書道教育のあれこれ 第2回:芸術科書道で学ぶこと

 

書Ⅰ          書Ⅱ