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高校の書道の先生は、学校の中で1人ということが多いのが現状です。特に若い先生や講師の先生が、授業の進め方や指導方法などで困った時、誰に相談すればいいのか。そんな悩める先生方のために、教員歴30年超のベテラン先生が、書道教育のあれこれを連載で紹介していきます。第4回は評価の考え方・適切な評価のための方策を語ってもらいます。
目次
新学習指導要領では、目標および内容が資質・能力の3つの柱で整理され、観点別学習状況の評価が本格的に導入されることになりました。改めて、観点別学習状況の評価とはどのようなものなのでしょうか。
戦前の学校での評価は、絶対評価でした。先生の評価が絶対、つまり先生の主観による評価で、現在の評価の考え方とは違っていました。その後、先生の主観による評価ではなく、先生や生徒自身が立てる学習目標を絶対とし、それに対してどこまで到達したかという到達度を評価するという形に移行しました。理論的に言えば、5段階評価の場合全員が5でもいいし、全員が1でもいいということです。実際にそうなることはありませんが、学習目標に対して生徒個々の到達度を評価するという方法で、この評価が現在まで続いています。近年、学習目標に対してだけではなく、評価の観点を明確にして観点別に評価をする方法へ移行しています。その観点が、前学習指導要領の4観点から現行では3観点に再整理されました。
この観点別評価の方法ですが、課題も多くあるように感じています。理想は、3観点をそれぞれ1:1:1のウエイトで評価するべきだと思っていますが、教科によっては、そのようにはいかないという場合もあるようです。知識・技能、特に知識の部分の評価のウエイトが高くならざるを得ない教科もあると。さらに、主体的に学習に取り組む態度というのを知識・技能と同等に評価するのは難しいという教科の先生もいます。ちなみに私は、3観点を1:1:1のウエイトで評価するようにしているのですが、芸術というのは、3観点を同等に評価しやすい教科であるかもしれません。
3観点、つまり「知識・技能、思考力・判断力・表現力、主体的に学習に取り組む態度」のうちの、知識・技能の評価について、先生はどのようにお考えですか。
知識・技能の「知識」の部分というのは、非常に範囲が広いため、例えば授業の中で、書風など用語をいくつか取り上げた後に、授業で学習したこの作品について、これとこれとこれの3つの用語を必ず入れて鑑賞文を200字で書きなさい、というようなことを学習のまとめとしてやることがあります。そこで使用した用語の使い方が適切かどうかを、知識の評価の判断材料にしたりします。お題とした用語はすでに授業で取り上げているわけで、その用語を使って鑑賞文を作れば、その生徒がその用語を理解しているかどうかというのはわかります。それと、美術館などの展示にあるような、古典のキャプション作り。そういったことで私は知識を評価することが多いです。
教育実習生も、テストではないですけど穴埋め式のワークシートを作ることは多いですね。そのような形での知識の確認自体、悪くはないと思います。ただ、用語を覚えているかどうかと、その用語を理解しているかどうかというのは別なので、混同しない方がよいのではないかと思います。
技能の場合、臨書の時に、ある古典を臨書する。その時にどういう指導をしたか、例えば字形についてでは、外形を取るというのであれば、その外形がどうだというように、観点を設けて技能を測ることがあります。例えば字形についての観点それぞれにa、b、c と三段階の評価を設定し、そのうちのこれはb、これはcで、トータルでbだとかというように評価をしています。
生徒のどういった活動から、「思考力・判断力・表現力」を評価しますか。
思考力・判断力・表現力の場合、多くはやはり「構想」の部分ですね。自分の学習を作り上げていくのが思考力・判断力で、ここでいう表現力というのは、筆で書くことではなく、言語化するということです。言語化がうまくできない生徒には、頭ではなんとなくわかっているはずなのに…というジレンマがあります。そこで例えば、文字の外形に着目し、点画の外側同士を結ぶ補助線を引く、孔子廟堂碑の「大道」なら、まず「大」という字の古典図版に補助線を引かせます。そうすると、多くの生徒は、中心から左側の左はらいの方は線の角度が急で、右はらいの方は緩やかになります。補助線を入れた図版と自分が臨書したものとを比較して、字形の不十分な点をどのように解決したらいいか考えることで、言語化がしやすくなります。
また、臨書で字形の整え方が1つの目標だとした場合に、自分の臨書に不十分な部分を自分自身で探す作業というのがおそらく臨書の場合の思考力・判断力であり、古典と自分の作品は何が違うのか、どこをどう変えれば古典に近づいていくのか、その古典の良さを引き出すことができるのか、というのを言語化するのが表現力であろうと思います。それらのことがどこまでできるかというのが、思考力・判断力・表現力の評価ということになるのだろうと思います。
主体的に学習に取り組む態度というのは、どのようにして図るのがよいのでしょうか。
主体的に学習に取り組む態度というのは、例えば学習計画のようなものを立てさせる時、その学習計画の内容と、もう一つ、ふり返りの記述で生徒自身が書いたものから評価します。
私の場合、テストのようなものは一切していないので、何かしら文章化したもので評価しています。生徒が自分で学習の計画を立て、自分がそれをどう実行して、結果としてどうなったか。ふり返った時に、自分の活動をどう評価するのか。それができていれば、学習に取り組む態度はある程度は分かると思います。作品が良く書けたとしても、言語化できなければ評価は難しくなります。学校教育の中で今他教科と同様に実施している3観点の評価だと、そうせざるを得ないのです。言語化するのが多少苦手な生徒というのもいます。感情が揺れ動いてるなとか、そういうことを教師側が感じないわけではないです。この生徒は少しわかってきたのではないかと思っても、それが評価物に反映されていないと、評価の対象にはできないのです。その部分での教師側のジレンマというのも、正直あります。
他の教科もそうかもしれないですが、今は、書道家の方々も、一生懸命自分の書いた作品を多くの人に見てもらう、人に伝えるために言語化するという活動をかなりやっています。展覧会などで、自分で自分の作品を言語化して説明したり、作品解説をするということが結構行われています。
ICTも含め、遠くの学校の人たちとコミュニケーションをとる場合、対面にしろオンラインにしろ、言葉で返すしかないわけです。つまり、コミュニケーションというのは、言語化できないと難しいというのが今の流れになっていると思います。なんとなく自分が思っていればいい、自分がわかっていればいいという時代もあったかもしれませんが、今は、言語化しなくてはいけない時代。教育、そして世の中が、そういう方向へ猛烈な勢いで進んでいると思います。
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