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公共 NEWS

何のために「問う」のか
〜ムリスの哲学対話から〜

2022年度から始まった学習指導要領が「主体的・対話的で深い学び」の一層の充実を目指したことに伴い、「公共」でも「問う」ことが導入されています。今日の社会において「問う」ことがなぜ大事なのか。今回は、成蹊大学で教育思想・哲学を専門とし公民分野の教科教育法を担当されている馬上美知先生に教わります。
教育をめぐる社会状況を思想的側面に軸足を置いて簡潔に整理しつつ、二元論的な世界認識を崩すために、南アフリカの教員養成カリキュラムで哲学対話を担当しているカリン・ムリス(Karin Murris)の挑戦から、「問い」を改めて考察します。

「教育」の先へ

「教育」とは、近代以降の次世代育成の在り方を意味すると考えています。たとえば、スパルタでは無名戦士の育成が、武家では武士の育成がなされていたように、いつの時代にも、どこの地域にも、それぞれの社会を維持する方法として次世代育成は存在しています。その中で、近代以降の社会において必要とされた次世代育成が「教育」と呼ばれています。

実際、「教育学」なるものが大学の科目として出現するのは、ドイツにおいて18世紀に入ってからです。そもそも日本で「教育」なる言葉が現在の意味において出現したのは、チェンバーズ百科事典のeducationが「教育」と翻訳された明治以降のことになると考えられています。educationという言葉も、たとえばオックスフォード英語辞典の1566年の用例には「肉体の聖なる泉たる女の胸、それこそが人類のeducatorである」とあるように、18世紀以前には、現在とは異なる意味において用いられていました。
このように「教育」とは、次世代育成一般を表すものではなく、近代以降の次世代育成を表すと考えられます。

近代に「教育」が出現したのは、産業革命をきっかけとする西洋社会の大変革に伴います。キリスト教に基づく身分によって秩序づけられた位階的な世界とは異なる「自律としての自由と平等を基本理念とする社会」が出現しはじめ、そうした新しい社会で生きていける、新しい人間の育成が必要とされたのです。

「人間の陶冶」や教育基本法にも見られる「人格の完成」といった近代教育の理念が生み出された背景には、人間とは神の似姿を目指して自己陶冶する存在というキリスト教的な人間観があります。それがやがて発達概念を出現させたように、近代教育思想はキリスト教的世界観との関係なく構築されてきたものでは決してありません。けれども、時代の大転換の中で、神に代わって自ら考え、自ら判断しえる新たな人間的能力を育成することで、自由と平等を理念とする社会の形成と発展を目指してきました。

しかし今、自律した自由な主体の形成をなしていると信じてきた「教育」が、実は既存の権力に都合の良い身心を形成しているに過ぎないとの指摘を受けるに至っています。
一方で、ChatGPTに代表されるような情報技術の躍進や地球環境の激変などの社会変化のただ中で、目指すべき新たな社会の具体像なく―もしくは時に矛盾するような非常に多様な理念の中で―生きており、この状況が続くことが予測されています。
それゆえ、「教育」の先の次世代育成が求められてきています。

エージェンシーの中核としての「問う」力

そうした次世代育成の試みの一つに、OECDの発表しているラーニング・コンパス2030[図1]があります。
これは、2015年からOECDにおいて取り組まれてきたEducation2030プロジェクトの中で作成され、これからの社会における学習の枠組みについて示すものです。

OECDラーニング・コンパス2030

[図1]OECDラーニング・コンパス2030

生徒が教師の決まりきった指導や指示をそのまま受け入れるのではなく、未知なる環境の中を自力で歩むこと、その際には、意味のある方法で、責任感をもって、進むべき方向を見出す必要性が強調されています。

キーワードとなっているのが、生徒エージェンシーです。エージェンシーとは、社会がよりよくなるために、「目標を設定し、振り返り、変化を与えるために責任をもって行動する力」とされています。そして、エージェンシーを支えるものとして示されているのが、[図2]のラーニング・フレームワークの中にある三つの力、すなわち「新たな価値を創造する力」「対立やジレンマを克服する力」「責任ある行動をとる力」になります。

一つ目の「新たな価値を創造する力」とは、イノベーションを導くものであり、適応力や創造力、好奇心、新しいものに対して開かれた意識を含み、個々人のみならず、他者との協働において、新しい知識を生み出していく力となります。

二つ目の「対立やジレンマを克服する力」は、二者択一での選択や単一の解決策などはまれな今日の社会状況において、他者のニーズや欲望を理解し、十分に練られていない結論は避け、対立する多様な要素の相互の関連性を考慮しながら、起きている事態の全体的な様子を視野に収めて、総合的に思考する力(システム的思考)を意味しています。

三つ目の「責任ある行動をとる力」は、上記二つの力の前提となるもので、規範や価値、意義や限界に関連することについての問いかけに基づきながら、自己調整する力となります。思春期は、脳の自己調整の領野が発達する時期でもあり、責任感を醸成する重要な時期とされてもいます。

つまりOECD Education2030プロジェクトでは、従来の社会枠組への適応を目指すのではなく、従来の枠組みを組み替えて変革していけるような力の育成が目指されています。「公共」において育成しようとしている資質・能力と重なるものが多くありますが、それらの土台として、規範的事柄を「問う」力が大事とされているのです。

OECDラーニング・フレーム2030

[図2]OECDラーニング・フレーム2030

カリン・ムリスの哲学対話

南アフリカの教員養成課程においては、そうした「問う」力の育成が試みられています。その中心にいるのが、カリン・ムリス(Karin Murris以降ムリス)[注1]という人物です。
なぜ南アフリカかというと、アパルトヘイトの影響が身体化されている(有色人種がホテルで掃除係をしていることに疑問は感じないが、白人が掃除係をしていると妙に感じるといったように)ためです。

たとえばムリスは、Elephant Elementsという絵本を用いて将来の教師への授業を実施しています。
この絵本は、幼い子ども向けの小さな絵本で、ページの見開きの左右に対立的、対象的な語(大きい/ 小さい、後ろ/前、男の子/女の子、閉じている/開いている、太っている/細い、幸運/不運、賢い/愚か)を、文字とともに象の絵でも表現しています。子どもが語彙を学ぶ教育絵本として受け止められ、長いこと愛読されてきているものです。
ムリスはこの絵本の絵と、木彫りで作られた妊娠している象の置物の双方をプロジェクターで教室に大きく写しつつ、絵本に描かれている対立概念について「私たちは、それらの両方になれないのはなぜだろう?」と問うのです。

ムリスがこの授業で目指しているのは、私たちが慣れ親しんでいる二分法、二元論的な世界認識がもたらす包含と排除への気づきを促すことであり、この本で対立概念を教える場合、言葉そのものに伴って何を教えることになるのかを考えさせることにあります。
こうした問いかけは、たとえば「(絵本の)左側にあるものが右側よりも優位なものなのか、それともその逆なのか? 一方は肯定的で、もう一方は否定的なのか?」といった新たな問いを生み、授業はそうした問いに刺激を受けながら、反対のもの同士を対話させ、そこにある差異の相対性を探求することで、二元論的な見方を崩壊させていくことが試みられています。

二元論的な見方とは、正常/異常、大人/子ども、精神/身体、など、私たちの日常生活に深く入り込んだものになりますが、ムリスはそこに植民地主義的な権力関係があることを問題視しています。当然、教師/生徒、発達/未発達もそうした枠組みでの認識になります。

ムリスの挑戦は、既存の権力にとって都合のよい身心の育成=「教育」ではなく、その先の次世代育成の試みの一つです。ムリスは「自然化されたもの(=自然な事と認識されているもの)を脱自然化し、単純だと提示されるものを複雑化し、迅速な答えや簡単な解決を避け、問いかけを常に続ける」ことが大事だとし、その進行を担う人を「教師」や「ファシリテーター」ではなく「ディフィカルテイター(difficultator)」と呼んでいます。

これからの次世代育成が、内実を変えつつも継続的に「教育」と言い表され続けるのか、私にはわかりません。しかし、既存の知識だけではなく、規範や認識の枠組み自体を「問う」力が社会を変革していく次世代の育成において要となってきている、ということは確かなように感じます。

この観点から本学教職課程に在籍する学生の模擬授業を振り返ってみると、正解のない問いへ挑戦する授業はあっても、耳障りのよいキーワード(共生や幸福、差別のない、など)に落ち着いて思考を止めてしまうことが多く、日常に潜む二元論的なものの見方を揺るがすような授業にはまだお目にかかっていないな、と自身の指導の在り方も含めて考えなければと、反省しているところです。

[注1]カリン・ムリス 南アフリカの幼児教育研究者。ケープタウン大学で教育学と哲学の名誉教授を務める。哲学対話を通じた教育を研究し、著書に『The Posthuman Child』、『Philosophy with Children and the Lavinasian Project』などがある。

高等学校公民科 公共

 

馬上 美知まがみ みち

成蹊大学教職課程(法学部兼任)教授。専門は教育思想・哲学。教育原理や公民分野の教科教育法等を担当し、共著に『学びを創る・学びを支える 新しい教育の理論と方法』『子どもと教育の未来を考えるⅡ』『学習者に寄り添う教育を目指す』など。