弁護士とコラボした「模擬労働審判を通じて労働法を知る・使う・考える」授業 〜千葉県立土気高等学校
高校公民

『高等学校公民科×家庭科コラボによる「18歳成年」教育教材の開発』(教育図書・刊)では、公民科・家庭科のコラボを通じたさまざまな授業実践を掲載しています。
今回は、本書の第五分科会「18歳成年と労働法」を実際に学習に取り入れている、千葉県立土気高等学校での公民科の授業を取材しました。
千葉県弁護士会の弁護士の方々と連携し、高校生一人ひとりが自分の意見をもって参加できる、画期的なロールプレイング授業でした。ぜひ日々のご指導の参考としていただければ幸いです。
土気高等学校での「労働法」の授業
今回取材に伺ったのは、千葉県立土気高等学校。教諭の宮郷和也先生、伊真之介先生による以下の授業が行われました。
- 科目と単元:公共 大項目B「自立した主体としてよりよい社会の形成に参画するわたしたち」>「雇用と労働問題」
- 授業概要:千葉県弁護士会ご所属の黒葛原歩先生(みはま総合法律事務所)、岩田真琴先生(弁護士法人房総法律)をお招きし、労働審判を題材として、労働契約と労働保護法制の知識を得、それを使って不当解雇についての事実認定を行わせる。
- 目標:労働契約がどのような性質の契約であるのかに気付かせ、それによって当事者がどのような権利を有し、義務を負うのかを学ばせたい。平成18年度から運用されるようになった労働審判制度を使って試みたい。
授業の流れ
※今回は2時限目の様子を取材させていただきました。
- 1時限目に弁護士が、解雇に関する労働法の規制のありようについて解説を行う。
- 2時限目に模擬労働審判を行って、不当解雇に関する架空の事例について判断を行う。
※今回は2時限目の様子を取材させていただきました。
授業導入に至るまでの経緯
民法改正による18歳成年の実現により、20歳未満の若者が悪質な事業者から搾取されるリスクが高まりました。若者が労働問題に直面したとき、自らの権利と責任の下で法的手続きを採らなければ、その労働者としての権利は実現されないという課題があります。そのため、高校生に対して、紛争の現場で実際に使える労働法の知識を伝達することが求められています。
日本弁護士連合会がワークルールに関する教育・啓発とその実現に向けた支援を推進する中、千葉県弁護士会や千葉労働弁護団は現場の教員と連携してワークルール授業の実践を行ってきました。
ロールプレイングを用いた「模擬労働審判」
今回の授業のもとになる教材を開発されたのは、千葉県弁護士会の黒葛原歩先生です。労働者の権利が救済されるとはどういうことなのかを体験できるようにするために、「飲食店の店長が、経営者から不当解雇されたと訴える」というテーマの模擬労働審判を、ロールプレイング形式で学ぶ授業になっています。
まず、1時限目に、弁護士の先生から「解雇規制」に関する基礎的な知識の解説を受けます。民法・労働契約法に基づき、労働契約の性質や、当事者の権利や義務、日本における解雇の法的制限の説明と併せて、法に違反してなされた解雇について争う手段(訴訟・調停・労働審判)について概説します。その上で、2時限目のロールプレイングの具体的な事件の設定、生徒の役割を説明します。
そして、2時限目の模擬労働審判は以下のような流れで行われます。
授業計画案

授業の参加者は4つの立場に分かれ、「展開1」の模擬労働審判がスタートしました!

経営者:岩田真琴先生(女性。写真左)
審判官:伊真之介先生(男性。写真中央)
審判員:生徒全員(あらかじめ6〜7班に分かれる)
今回の労働審判の内容は、中華料理店の店長である「労働者」が、店のオーナーである「経営者」に解雇を言い渡され、それを不当解雇だと主張しているというものです。
「経営者」が「労働者」を解雇した理由は以下の3点です。
- 「労働者」が切り盛りする店舗の業績が悪いこと
- 「労働者」が勤務中に、仕事とは無関係の動画を見ていたこと
- 今年の7月に食中毒事件を起こし、この店舗が3日間の営業停止処分を受けたこと
「労働者」は、1〜3の理由についてそれぞれ反論を展開し、今回の解雇が不当解雇であり、いくらお金を積まれても辞めず、あくまで職場復帰を求める考えを述べました。
「経営者」は、それに反論し、「労働者」を職場復帰させるつもりは一切ないこと、ただ、これまでの会社への貢献を考慮して、金銭を支払う考えを述べました。
両者の意見が真っ向から対立したところで、「審判員」である生徒に場面が移りました。話し合いをしながら、「労働者」「経営者」にどんな質問をするか考えます。
ここで、黒葛原先生、岩田先生が動きます。生徒たちの間を回り、楽しく声をかけています。はじめは緊張気味だった生徒たちですが、弁護士の先生方へ質問するハードルが下がったようです。

話し合いの後、「審判員」から「労働者」「経営者」への質問が行われます。「労働者」「経営者」は質問に対し、時には熱く、感情的な演技も交えて論を展開していました。
最後に、先ほどの質問への回答内容も含めて各班が話し合い、この問題についてどのような審判を下すのか発表しました。今回は、解雇が「正当」と判断し、「経営者には金銭を支払わせる」という班が多かったです。

最後に、生徒の発表に対する黒葛原先生、岩田先生からの講評がありました。
日々、様々な審判に立ち会われている弁護士の先生方によるリアルな演技と、労働者・経営者それぞれの立場を考慮した的確なアドバイスが印象的な授業でした。
高校生の反応と回答
今回の授業で特徴的だったのは、話し合いのグループワークに参加しなかったり、ポツンと取り残されていたりする生徒がいなかったことです。別のクラスで行った模擬労働審判の授業でも、同じように生徒の皆さんが自分から参加しようとする姿勢が目立ちました。
黒葛原先生からは、土気高等学校の宮郷先生、伊先生による、生徒一人ひとりを疎かにしない授業づくりに起因するものであると指摘がありました。

高校生の皆さんから出た意見などを一部ご紹介します。
<ワークシート回答>


<労働者・経営者への質問>
・労働者へ 店長は調理師免許を持っているので、生物の加熱の不十分に対する注意や研修などをしていてもよかったと思うが、加熱が不十分なのはわかっていたのではないか。
・経営者へ この店長を辞めさせるとしたら、次の店長候補となる人はいるのか。
<最終的に下した審判>

弁護士 黒葛原歩先生、公民科ご担当の先生より
模擬労働審判の授業がここまで生徒の関心を引き出し、充実した学びになった裏には、弁護士の先生方、高校の先生方による配慮と工夫がありました。
授業づくりについて、先生方にインタビューさせていただきました。
黒葛原歩先生(みはま総合法律事務所)
模擬労働審判の授業づくり
この模擬労働審判のシナリオは、元々は大学用に作ったものを高校生向けにアレンジして作りました。私の知る限りでは、公立高校で模擬労働審判を授業に採り入れている例は非常に珍しいと思います。
一般的に公民科では刑事事件の模擬裁判が多く扱われ、生徒に法的視点を養わせる上で効果的です。対して労働審判は、より身近な争いごとに即して判断のプロセスを学ばせることに優位性があります。
労働審判を授業で扱うねらいは、生徒に思考・決断するプロセスを体験してもらう点にあります。労働問題はアルバイト経験者が多い学校にとっては現実的で身近であり、経験がない生徒にとっても、卒業後数年以内に直面する可能性が高い問題です。リアリティをもって主体的に学べるため、高校生でも関心を持ちやすく、より真剣に取り組める素材といえます。
なお、台本中のストーリーや事例については、かなりリアリティを追求しています。食中毒事件については、半生の卵の調理が食中毒につながった事例がないか調査しました。また、台本に登場する地域や店名などは、授業を受ける高校生が住んでいる地域を舞台にして親しみやすくしたり、店長が閲覧していた動画の内容をその時に合わせてアレンジしたりしています。ちなみに、今日登場した労働者は、大谷翔平選手の出場するMLB中継動画を観ていたことにしました。
高校生の皆さんが積極的な意見を出せるようなおもしろい教材をつくることができてよかったです。
交渉・人権教育との関係
交渉や調停が当事者の合意による解決を目指すのに対し、「審判」は、話し合いで合意ができなくても、裁判所が最終的な判断を行う法的紛争解決手続きです。この手続きの核心は、必ず決着をつける点にあります。決着をつけないことは、裁判所という国家の機関であるからこそ許されません。この点を踏まえ、生徒には審判員として必ず結論を出す役割を担ってもらいました。
これは、単なる話し合いでは解決できない問題が起こった際、法に基づいて解決を命じるのが司法であるという、司法のもつ強制力の役割と意義を理解させる上で極めて重要です。
なお、労働問題は労働者の権利を扱うテーマですが、「国と市民の対立」を扱う人権教育とは位置付けが異なり、あくまでも「市民と市民の争い」を扱うものです。
模擬労働審判はワークルール教育として、あるいは経済活動の延長でトラブルが発生した際の具体的な対処法として、より実践的な学びとなります。
日本の労働環境
「日本では解雇がしにくい」というイメージがありますが、国際的にみるとそうとも言えません。日本の労働法制は、労働者が手厚く守られている面と、雇用者が労働者を解雇しやすい面との二面があります。日本では、司法手続で解雇無効とされた場合の救済水準が国際比較でみると高いため、裁判で経営者が敗訴した場合の制裁は大きいです。一方で、解雇するまでの手続きに関する規制が緩いため、国際的には、どちらかというと解雇しやすい国であるという評価がなされています。
実際、中小企業では経営者が一方的な判断で解雇していると思われる実態も少なからずあります。労働裁判件数は、たとえばドイツが年間数十万件程度あるのに比べ、日本では年間1万件もありません。これは日本では労働者の多くが泣き寝入りしている可能性を示唆しており、司法を労働者の身近なものとするための取組は極めて重要な課題であるといえます。
公民科学習における弁護士との連携
公民科の授業は「なまもの」で、社会情勢の移り変わりに伴って常に変化していきます。最近の労働事件の実情を踏まえた授業作りをするためには、是非、弁護士の力をご利用頂ければと思います。
各地の弁護士会には、法教育に関する委員会が設置されているところが多く、こうした窓口をご活用頂くこともできます。また、日本労働弁護団では、ワークルール教育を推進しており、ホームページで実践例や指導案を紹介しています。
また、弁護士を外部講師として活用する授業についても、全国の労働弁護団の事務所に電話でご相談いただくことも可能です。ワークルール教育には、学校の先生方のご協力が欠かせません。我々弁護士も、授業の中で学校の先生方がやりたいと思われることを提供したいと考えております。
千葉県立土気高等学校 公民科教諭 宮郷和也先生
千葉県立土気高等学校 地歴科教諭 伊真之介先生
模擬労働審判の授業を公共で取り入れた経緯
高等学校公民科での司法学習は、人権保障の中で取扱われることが多く、内容は刑事裁判(刑事手続)が一般的です。一方アルバイトなどで多くの高校生が労働市場に組み込まれる中、民事のプロセスを体験させ、労働契約でどのような権利や義務が発生するのかを学習させることも重要であると考えました。また従来は制度や法律の条文の教え込みになりがちであった司法・労働の学習を、事象を提示してそれに対する自らの考えを表明させ、なぜそう考えるのか、という意見を全員で共有し合うという思考型で展開することもねらいでした。
授業づくりでの苦労や工夫したこと、生徒の反応
2単位という限られた時間数の中で、テーマを絞った体験型の展開には、大きく時間を割かれてしまうリスクがあります。今回の授業は、主として大項目Bの「雇用と労働問題」での展開を意図しましたが、同時に「司法参加の意義」にも配慮して企画しました。模擬労働審判を経験することで、ワークルールや雇用をめぐる諸問題と、民事裁判一般の基本的な考え方を同時に学べることを企図しました。弁護士を招へいし、内容は思考、表現を促すものでしたので、生徒には概ね好評でした。
家庭科の先生との連携
本校では「公共」と「家庭総合」の実施学年が異なるため、クロスカリキュラムなどは実施していませんが、今回扱った終身雇用制に基づく生活設計、労働契約の特殊性などについては、相互に内容を調整しました。
模擬労働審判の授業に興味がある先生方へ
個人的に弁護士と繋がることは、多くの高校教員にとって非常に困難でしょう。弁護士会には法教育委員会などが設置されているところも多いので、各都道府県の弁護士会相談するのが最善かもしれません。それが難しければ、書籍の展開例に沿って、生徒にロールプレイをしてもらうなどで、教員が実施することも可能です。
弁護士の黒葛原歩先生、岩田真琴先生、千葉県立土気高等学校の宮郷和也先生、伊真之介先生、そして生徒の皆さん、ありがとうございました。




