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生成AIの教育現場での活用が始まっています。なかでも対話型AI「ChatGPT」は、学習や指導における作業の効率化や個別最適な学びに貢献することが期待されていますが、一方で子どもの考える力を奪うのではないか、得た情報をどう判断するのか、といった点が懸念されています。
こうした状況のもと、慶應義塾高等学校で「公共」を担当する橋本想吾先生は、今年度からChatGPTの回答を教材とした「公共」の授業づくりに取り組んでいます。生成AIが存在感を増す中で、学校での学びはどうあるべきなのでしょうか。それを考える手がかりとして、今回は橋本先生による授業レポートをお届けします。
目次
「公共」の授業で課題を出す際に、ChatGPTをはじめとする生成AIについてどのような指導をすべきか考える機会が増えてきました。現在、私の授業では剽窃のルールを生徒に伝えたうえで、生成AIの利用自体は禁止していません。一方で、高校生が生成AIをどう活用し、出力結果をどのように受け止めているのかという実態は授業をしているだけでは見えづらい部分だと感じています。
仙台大学が高校生・大学生を対象に実施した調査[注1]によれば、生成AIを利用した経験のある生徒・学生のうち約3割が、「課題やレポートにAIの回答をそのまま写して提出したことがある」と回答しています。さらに、生成AI利用者の63.8%が、回答の正しさを確認する方法について「知らない」と回答しました。生成AIの回答を批判的に検討する経験がないまま、生徒がその場しのぎの便利ツールとして生成AIを利用しているとすれば、学校現場においてこれを改善するための教育を模索する必要があります。
なぜ、高校生は真偽が不確かな生成AIの出力結果をコピペしてしまうのでしょうか。根本的な原因は、課題にかける時間を節約したいからでなく、これまでの学習において「じっくり考えることの面白さ」に出会えなかったからではないかと私は推測しています。そこで1 学期の「公共」では、少子化対策をテーマに以下の学習課題を設定し、生成 AI の可能性と限界についてじっくり考える授業を実験的に行いました。
【授業資料】1時限目に提示した課題(授業プリントから一部修正して抜粋)
【授業資料】「日本はどのような少子化対策を講じるべきか」に対するChatGPTの回答 ※画像クリックで拡大表示
少子化対策を題材とした理由は2つあります。第一に、タイムリーな題材だからです。2023年は合計特殊出生率が1.20と過去最低を更新し、東京都知事選では各候補者の少子化対策にも注目が集まったことで、生徒が関心をもって取り組めるテーマだと判断しました[注2]。第二に、専門知を踏まえた価値判断が必要なテーマだからです。
ChatGPTで「日本はどのような少子化対策を講じるべきか」と検索すると、子育て支援や教育費の無償化など、さまざまな対策が出力されます(前掲の授業資料を参照)。ただし、これらの回答には学術的な根拠の乏しい提案も含まれ、重要な政策が網羅されているとも限りません。例えば、ChatGPTの回答にある「育児手当の増額」(=子育て世帯への現金給付)は、子育て支援としては重要なものの、少子化対策としての効果は小さいことが経済学者から指摘されています[注3]。
このように、私たちはChatGPTの回答を考えるきっかけとして利用しつつも、専門家の議論を参照しながら、政策の優先度を判断したり、不足する視点を補ったりする必要があります。こと少子化対策は、専門家の議論にふれることで、世間一般で「正しい」と思われている俗説の誤りを発見できる面白さがあり、じっくり考えることの価値を生徒と共有できると考えました。
[注1]詳細は仙台大学AI教育研究チーム『学生と教員を対象とした生成AIの教育利用状況と意識に関する全国調査』を参照。
[注2] 2024年7月、石丸伸二氏(元安芸高田市長)はテレビ番組内で「一夫多妻制」などSF的な対策を挙げて波紋を呼びました。発言を批判するのは容易ですが、ではどのような政策が望ましいのか、授業で問い返すことは優れた導入になります。
[注3] 山口慎太郎(2021)『子育て支援の経済学』日本評論社を参照。
本節では、ジグソー学習を軸とした授業の概要について紹介します。ジグソー学習とは、生徒同士で協力し合わなければ解決が難しい学習課題を設定し、皆で協働して取り組むことで、主体的・能動的な学びを可能にしようとする教育方法の1つです[注4]。一般には、エキスパート活動およびジグソー活動の2段階で構成されます。
第一段階として、エキスパート活動とは、与えられた課題に回答するために必要な視点を3~4つに分けて提示し、学習者はどれか1つの視点を選んで資料の読み取りや調べ学習を分担することで、各自が担当箇所の「エキスパート」になる活動です。今回の授業では「ChatGPTの回答を吟味する」という課題に対して、①未婚者支援、②子育て支援、③働き方改革、という3つの視点を設定して役割分担を決め、視点ごとに異なる資料を配布しました[注5]。各資料とも、内容を理解したうえで「どのような対策が有効か」を調べて考える設問を末尾に用意しました。
続くジグソー活動は、エキスパート活動の成果を持ち寄り、互いの知識をジグソーパズルのように組み合わせることで、課題に対して多面的に考察する活動です。今回は視点①、②、③からそれぞれ2名程度を集めて6~7名のグループを作り、ChatGPTの回答で優先すべき政策は何か、追加すべき政策はないか、などを各エキスパートの視点から議論してもらいました。
少子化のようにさまざまな要因が複雑に絡みあう社会問題ほど、問題の全体像を1人で見通すことが難しく、私たちはChatGPTの回答をみて思考停止してしまいがちです。これに対し、ジグソー学習を通じて1人では気づけなかった視点を得ることができるため、教室での学びが面白く感じられると考えています。
[注4] ジグソー学習の実践事例としては河原和之先生の【ジグソー学習】 どうする?買い物難民!などが参考になります。
[注5] ジグシー学習の資料作成にあたっては、筒井淳也(2015)『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みづらいのか』中公新書、筒井淳也(2023)『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由』PHP新書、山口慎太郎(2021)『子育て支援の経済学』日本評論社、などを基本書として参照しました。
●エキスパート活動
1時限目のガイダンス後に行ったエキスパート活動では、視点①~視点③のそれぞれについて以下のエキスパート資料を配布しました。それぞれの資料の末尾には調べ学習につながる問いを3問つけています。生徒はそれに沿って調べ学習も行いました。※画像クリックで拡大表示
視点① 未婚者支援の資料は「少子化の原因は若者の草食化か」という導入から始まり、Q3で「結婚しづらい人はどのような属性の人々か」と問うことで、男性の非正規労働者の50歳時未婚率が非常に高い現状に気づいてもらうことが狙いでした。いくつかの班はこの点に着目して調べ学習を進めていましたが、結婚できないのは外見や性格に関して相手に求める理想が高いからという属人的な考察でまとまってしまった班もあり、調べ学習の導線に改善の余地を感じました。
視点② 子育て支援の資料は、全ての子育て支援が少子化の改善に寄与するとは限らないことを理解してもらうのが狙いでした。資料の中では、子育て世帯への現金給付よりも、女性の育児負担を減らすための現物給付のほうが、出生率の改善には効果が高い可能性があることなどが論じられています。資料を読み終えた生徒からは、東京都板橋区の「すくすくカード」など自治体ごとのユニークな取り組み、また保育所の拡充や保育士の待遇改善など保育政策を重視すべきだという意見があがりました。
視点③ 働き方改革の資料は、メンバーシップ型雇用が女性の働きづらさ、産みづらさの一因であることを理解し、正社員に求められる男性的な働き方(全国転勤や長時間労働など)を改革する必要性を感じてもらうことが狙いでした。調べ学習では、厚生労働省が推進する「休み方改革」や、長時間労働に関する法規制の強化、テレワークの推進など様々な意見があがりました。さらに、社会保障制度における「年収の壁」が性別役割分業を固定化し、女性の正社員化を阻んでいるのではないかという点に議論が及んだ班もありました。
●ジグソー活動
エキスパート活動を2時限分おこなったあとジグソー活動に移り、グループごとに政策カテゴリの優先順位を決めて発表してもらいました。本来はグループ単位でプレゼン資料を作って発表する形をとりたかったのですが、今回は授業時間の制約を考慮して簡易的な形態をとりました。各グループが議論から導き出した優先順位が以下の通りです。
約半数のグループが雇用環境の改善を1位または2位に位置づけ、出産・子育て期の一時的な支援では少子化対策としては不十分だという意見を展開していました。添付した画像だと分かりづらいのですが、「給料の増加」を1位に挙げたグループもあり、雇用が安定し、経済的に余裕をもって生活できる環境を整えることがより重要だと気づいたグループが複数あった点はよかったと思います。一方で、エキスパート活動がうまく深まらなかったグループは、ジグソー活動での議論もそれに比例して表面的な内容になってしまい、エキスパート活動をいかに充実させるかがジグソー学習の肝であると再認識しました。
ジグソー学習の終了後、まとめの学習として日本の少子化対策の変遷を解説し、専門家から次の問題点が指摘されていることを紹介して、全5時限の授業を締めくくりました。
ChatGPTの回答は信頼できるのかという課題設定は生徒も関心があるテーマだったようで、課題の説明をしたときに「なるほど、そうきましたか」という好意的な反応が返ってきました。教育現場において、生成AIを規制するのではなく、生成AIと真正面から向き合う授業を作ることで、生徒自身が「タイパ」重視の学びを振り返り、学び方を学ぶきっかけになるのではないかと感じています。
近年、われわれ教員も生成AIの利活用についてはさまざまな方法で学ぶことができます。例えば、文部科学省が2023年に公開した「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」では、生成AIの活用事例がわかりやすくまとめられています[注6]。さらに、東京大学の吉田塁准教授による講義動画「教員向け ChatGPT 講座 ~基礎から応用まで~」では、生成AIに関する詳細な解説が無料で公開されており、基本事項を理解するうえで非常に役立ちました[注7]。
「公共」を実り多い科目にするためには、生成AIで楽をしたいと思われるような授業・課題ではなく、もっと自分で学びたい、自分で取り組みたいと思える授業・課題づくりが不可欠です。生成AIが「公共」の目指す主体的・対話的で深い学びの味方となるか、敵となるか、それはわれわれ教員の創意工夫にかかっていると思います。
出所:文部科学省「初等中等教育段階における生成AIに関するこれまでの取組み」p.2より抜粋
[注6] 「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を参照
[注7] 吉田塁准教授によるホームページ「 Yoshida Rui Lab」を参照