経済を読み解くレンズを手にしよう
高校公民

「わかりにくい」「実感がわかない」と、生徒たちに不人気な経済分野ですが、一体どうしたら彼らの目を輝かせることができるのでしょうか? 今回は、「公共」「政治・経済」教科書の経済分野を担当していただいた、鷗友学園女子中学高等学校の久枝昂弘先生、慶應義塾高等学校の橋本想吾先生による対談記事をお届けします。導入で生徒を引き込む方法、発問の工夫、問いの立て方など、生徒の思考を深めるヒントが盛り沢山な内容です。
高校における経済学習の難しさ
久枝 経済学習は多くの生徒にとって身近でないことに加え、自分の中で面白さに気づくのに時間がかかる分野です。教科書の本文も細かな知識が詰め込まれがちで、学習の動機づけは大きな課題だと感じています。橋本先生は、普段の授業でどう工夫していますか?
橋本 年齢とともに人生経験が増えたことで、実体験に根ざした具体例を多く語れるようになりました。たとえば社会保障の単元では「私(橋本)の人生年表」を示し、人生の重要な場面で出費がいくらかかったと思うか、予想させていきます。
なかでも、出産や持病の手術・入院にかかった費用と実際に支払った金額の差を示すと、生徒は驚き、社会保障への関心が一気に高まります。ただ、ここで終わらせず「では、非正規雇用でも同じ制度を活用できるのか」「ほかの国も同じような制度なのか」と問いをつなげることで、現代的な課題へ自然に関心が向くように工夫しています。
久枝 無味乾燥にみえる用語が生徒の中で意味あるものとして腹落ちし、意外と役に立つじゃないかという素直な驚きを一緒につくっていける面白さがありますね。
担当した「国の『豊かさ』をどう測るべきか?」(「公共」p.080〜081)でいえば、生徒はGDPという言葉を知っており、GDPが大きい方が良いという感覚はもっています。そのわりに、では豊かさとは何かと問うと、「自然環境が維持されていて…」と語り出す。このように、受験の頻出用語でも、彼らはある種の矛盾する感覚をもちあわせています。知識と直感のズレを見つけて「そもそも、豊かさはどう測るべきなのだろうか」と根源的な問いにつなげるのが教員の役割のひとつではないかと思います。
橋本 「国の『豊かさ』…」は、東日本大震災があった2011年に、福島県の域内総生産(GRP)が増加した、というデータが特に印象的ですね。「なぜ被災地のGRPは増加したのか」という導入から、フローとストックの説明につなげると、GDPが豊かさの一面しか測れていないことが腑に落ちやすくなります。テーマ学習は完璧に扱おうと構えすぎず、生徒に読ませたり、説明の導入として使ったりするだけでも効果があります。学校ごとの事情に応じて使い方を工夫して頂けると嬉しいです。
教員も苦手? 金融分野との向き合い方
橋本 一方で、生徒や教員の体験を活かしにくい単元もあります。私自身は、金融分野にやや苦手意識をもっていました。
久枝 多くの先生にとって金融は難所です。教科書をそのまま教えようとすると、市場経済の単元では家計の立場から生徒に実感をもたせるのに、金融に入ると、突然日銀が現れて買いオペの説明が始まります。実感がもてぬまま、「金融政策によって私たちの生活はこう変わる」と、また消費者視点に戻される。高校生はまだ就職もしていなければ、どこかの企業の社長でもありません。足場をどこに設定するのかが重要です。

久枝 家計の資産形成は身近なテーマですが、ここを主に扱うのは、おそらく家庭科です。対して公民科は、金融が社会をどう変えるのかという視点を重視すべきだと思います。
私の授業では企業の視点から、「社会課題を解決するサービスを考案してみよう」という課題を出し、ビジネスプランの種を考えてもらいます。生徒がそれぞれアイデアを持ち寄ったところで、公共の「投資家にとっての『よい企業』とは?」(「公共」p.140〜143)のページを使い、そうしたアイデアを実現するための資金をどう調達するのか、融資と出資の違いなどを学習します。新しいアイデアの実現、つまりイノベーションは、社会の課題をビジネスの視点で解決することにつながり、生徒のイメージする「豊かな社会」の実現にも近づきます。
新訂版で追加された「SIMULATION 起業してみよう」(p.144~145)は、金融学習の強力な橋渡しとなるはずです。
橋本 公共では、金融の機能をしっかり伝えたいですよね。私は、株主の立場からスタジオジブリの価値を考える授業を行いました。初回に、「日テレがジブリの株式を42.3%取得し実質的に子会社化」というニュースを紹介します。子会社化を発表した当初、株の取得額が非公開だったことを補足し、「ではジブリの企業価値はいくらなのだろうか」と問いを立ててグループワークに入ります。生徒たちは、興行収入など身近なデータをもとに予測を立てていました。
ジブリを教材とすることで、具体的なイメージをもたせながら金融市場の説明ができ、企業価値を判断する材料として会計情報(バランスシートや損益計算書)にも触れられます。実際に皆でジブリのバランスシートを分析してみると、自己資本比率が高く中長期の安定性に優れていることがわかりました。
では会計情報だけでジブリの価値は測れるのか、という切り返しから「宮崎駿もある種の資産ではないか」「労働環境はどうか」など、会計情報では測れない「見えざる資産」の存在に目を向けるんです。
授業の後半ではNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を視聴し、実際の投資判断がどのように行われるのか、リアルを掴んでもらいます。株主第一主義の見直しやESG投資など近年の動向も、その流れで紹介することができました。
久枝 橋本先生の実践とも共通するのは、投資と投機の違いを明確に区別している、という点ですね。株式市場というと短期的な売買でいくら儲かるかという視点で捉えられがちです。しかし、公民の授業は短期的な投機ではなく、株式投資が社会参画のひとつの手段なのだという意識を育むことに注力すべきではないでしょうか。
ちなみに勤務校では、中学生のホームルーム活動などを通して、アントレプレナーシップ教育も行っています。東京都の事業でも、さまざまな起業家を紹介して、サービスの着想法やキャリアの話を聞く機会などを提供しており、いまは学外の企画も充実した時代です。教員だけでは提供できない学びになりますから、積極的に活用を試みることもオススメです。
原理を使い、思考力を鍛える
久枝 今回発刊される「政治・経済」を拝見して、社会科学のエッセンスがより強く打ち出されているなと感じました。例えば、金融分野のプロローグが「奨学金の金利はどう決めるべきか?」(「政治・経済」p.079~081)と、メカニズムの理解に比重が置かれていますね。意識的にそうしたのですか?
橋本 「政治・経済」では、政治学や経済学のレンズを通して社会を読み解く面白さを伝えたいと思いました。先ほど久枝先生から「金融の単元では突然日銀が現れて…」とお話がありましたが、全く同感です。市場経済ではモノの価格が需要と供給で決まると教わるのに、金融市場の「価格」である金利がどう決まるのかに関しては、十分な説明がありません。
今回担当した「奨学金の金利…」は、日本とアメリカで奨学金の金利が全く違うのはなぜか?という疑問から、リスクとリターンの原理を使って奨学金の金利がどう決まるのかを解き明かしていきます。

橋本 リスクに見合ったリターン(金利)が設定される、という考え方がつかめると、金利を見てどのようなリスクが反映されているのか、自分で思考できるようになります。たとえば、なぜ住宅ローンなどの長期金利は短期金利よりも高いのか。日銀が買いオペをすると、なぜさまざまな金利が連動して下がるのか。根っこにある原理が分かるとすごく見通しが良くなります。
久枝 一見退屈そうな原理も使いどころがわかれば、今がわかるし、わかればもっと思考を深めるきっかけになります。たとえば「三面等価の原則」も使いどころが難しい知識の代表だと思いますが、授業づくりの過程でその有用さがわかってきました。
一例として、日本全体で賃金(雇用者報酬)を増加させたいとしましょう。もしほかの分配項目(企業所得など)を減少させないのであれば、三面等価の原則から、生産面での国民所得も増加しなければなりません。つまり、生産を増やさずに賃金だけを上げることはできない、ということがわかります。

▲ 生産、分配、支出の三つの国民所得(NI)が一致するという「三面等価の原則」
久枝 国の豊かさを需要と供給の両面から考える視点は、高校生が意外にもっていない感覚です。生徒に、日本をより豊かにするにはどうすればよいかと問うと、「お金をバラまいて消費を伸ばす」「減税」など需要側からの意見は多く出てきます。たしかに景気変動への応答として財政・金融政策は重要ですが、それはあくまで短期の話。長期の経済成長には、技術進歩や資本の蓄積など供給能力の向上が欠かせません。
生徒の頭の中には消費→生産という因果関係がありますが、生産→消費という因果関係もあることを三面等価の原則は教えてくれるんです。これまでの教科書では、生徒が読んで「役に立つ」と思える記述が少なかったんですよね。
橋本 授業をしていると、転売など身近な問題には食いつくのですが、日本経済という大きなテーマになるとどこか他人事というか、冷めた目で見ていると感じることがあります。「大事な問題だ」と力説しても生徒との距離感が広がってしまうだけなので、「こう分析すると面白いよね」という見方・考え方の引き出しを増やす必要があります。
今回担当した「日本の経済成長を考える」(「政治・経済」p.095~097)は、日本経済の停滞という複雑な現象を、労働・資本・生産性というシンプルなモデルでときほぐす面白さを共有したいという想いで執筆しました。
その際に参考にしたのは、早稲田大学が高校生向けに配信した模擬講義『貧しい国はどうして貧しいの?』です。「100,000: 250、 …これは最も豊かな国(ルクセンブルク)と最も貧しい国(南スーダン)の1人当たりGDPです。なぜ豊かな国と貧しい国があるのか、知りたくありませんか?」という問いかけで始まり、経済成長のメカニズムを高校生が理解できるレベルに落とし込みながら解説する展開が鮮やかで、非常に刺激を受けました。
▲ 早稲田大学の模擬講義『貧しい国はどうして貧しいの?』
久枝 これまでの教科書は、景気変動への応答として財政・金融政策に多くの紙面が割かれていました。供給面からみたマクロ経済、という視座を明確に打ち出した公民の教科書は、先進的だと思います。この教科書が広まれば、一時的な効果だけでなく、長期的な豊かさのためにはどういう政策が必要かを考えられる主権者は増えるのではないでしょうか。
「公共」と「政治・経済」の接続を考えた際に、「公共」では学びの集大成として少子化を扱っている点も特徴的です。労働力の減少が進む中で、どのような社会を構想すべきかを考えることが、政治・経済の学びへとつながります。そして、「どうすれば労働力を確保できるか」「どうすれば経済成長が可能か」という問いが立ち上がり、生産性の向上という本質的な課題に気づく構造になっています。ここまでつながると、公共の「SIMULATION 起業してみよう」が、再び浮かび上がるのではないでしょうか。
多面的・多角的な視点で学ぶには? マンガや漫才の活用法
久枝 「公共」「政治・経済」ともにマンガや漫才の動画が盛り込まれていますが、授業でどのように活用できるでしょうか。
橋本 思わずハッとする描写やセリフを探して、「笑って終わらないこと」がカギです。マンガに関しては、「この漫画は何を描こうとしているのか?」と発問してみると、さまざまな発見が出てくると思います。
一例として、「政治・経済」の「デフレ脱却!」(「政治・経済」p.094)というマンガをみてみましょう。日銀の金融政策が功を奏して牛丼の価格が急上昇した架空の世界で、サラリーマンが「牛丼も高くなったな…」と悲しげにぼやくシーンがあります。先ほど久枝先生から「賃金が上がればそれでおしまいというわけではない」とありましたが、物価も同様です。なぜサラリーマンは物憂げなのか、「名目と実質」のよい導入になると思います。
加えて、牛丼1杯の価格が1コマ目では290円、3コマ目では490円と約1.7倍に上昇していますが、デフレ下の日本で、モノの価格が約1.7倍になるには相当の時間を要しています。「牛丼が290円だったのは何年前か?(正解は12~13年前)」と発問し、日本の慢性的なデフレを消費者物価指数(CPI)やGDPデフレーターで確認してもいいでしょう。
久枝 ひとつの現象を多面的・多角的にみるヒントを与えてくれるのがマンガや漫才のいいところですね。ほかにも「公共の扉」にある漫才「私って何?」では、「あのな、公共ってのは人がよりよい社会を作るためにどうやっていけばいいかを学ぶんだよ」という伊達さんに対し、「なら、いま背中がかゆいから掻いてくれ」とボケる富澤さんにクスッとなります。そこから「それはお前のワガママだろ!」「公共の教科書で人の意見を否定していいのか!」と畳みかけるような応酬は、内容自体は実にくだらないです(笑) しかし、「わがまま」と「社会の問題」の線引きを考えてみようという漫才のコアな部分は、公共的な空間とは何かを考えるきっかけを与えてくれるように思います。

生徒の “ 味覚 ” を揺さぶる教科書を目指して
橋本 最近では、生成AIをはじめ手軽に情報を収集できるツールが高校生にも普及しています。そのような時代において、生徒がひとつの教室に集まって公共や政治・経済を学ぶ意義をどのようにお考えですか?
久枝 ひとつは、教室での議論を通じて他者の考えにふれ、自分の中の「当たり前」が揺さぶられる経験を積めることだと思います。発問の切り口や面白さで引き付けるのが第一ですが、議論がしやすい環境づくりもまた重要です。
先生方には、なかなか自分の率直な意見を出さず、求められている「正解」を探してしまう生徒が多い教室を経験された方もいらっしゃるのではないでしょうか。私の勤務校でも、学年が上がるにつれて、自分の意見を隠してしまう生徒が出てくることが課題でした。
そこで、隣同士で意見交換をさせて、良いと思った相手の意見をリテリング(自分の言葉に置き換えて説明)するように指示を変えました。そうすると、発言のハードルは下がる一方で、友だちの意見だから一生懸命伝えようと努力するようになり、もとの意見とニュアンスが違うと、「いや、こういうつもりで言ったんだ」とさらに語り直してくれるなど、自然と他者の考えに耳を傾け、自分の意見を見つめ直す空気が醸成されるようになりました。
ほかにも、マイクロディベートといって、肯定側1名・否定側1名・審判1名の小グループで準備不要のディベートをすることで、他人にただ乗りができなくなり、自分の頭で考えざるを得ない場面をつくることができます。マイクロディベートに関しては、出されたアイデアを審判に発表させることで、大まかな論点や意見も確認できますよね。「公共」「政治・経済」ともにQRコードで自分の意見が記入できるようになっていて、これも発言の心理的なハードルを下げてくれると思います。
橋本 生徒の意見には、しばしば単元の核心に迫る観点が含まれており、それを見逃さずに授業を組み立てられるとライブ感を高められますよね。たとえば「転売規制の是非」についてディベートを行った際には、肯定側と否定側ともに「適正価格で販売すべきだ」という意見があがったので、双方の考える適正価格とは何か?と切り返し、「効率と公正」という見方・考え方の解説につなげることができました。少し脱線になりますが、今回発刊される政治・経済では、市場の効率性(市場取引によって生じる幸福量の総和)を測るツールとして、余剰という概念にもふれています。

橋本 教室で学ぶ意義について久枝先生からお話を伺うなかで、哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉「今日の哲学教師が教え子に料理を出すのは、教え子の気に入る味だからではなく、教え子の味覚を変えるためである(反哲学的断章)」がふと頭に浮かびました。生成AIの時代に、「知識はネットで調べられる」のは確かにその通りですが、本当の学びは、同じものをこれまでとは違うふうに見られるようになること。あるいは、興味のなかったものに面白さを見出せるようになることではないでしょうか。
改訂版の「公共」、「政治・経済」を発刊するにあたり、執筆者の先生方や編集者の方々と何度も会議を重ねるなかで、私たちが目指したのは生徒の味覚を変える教科書です。この教科書をどう「料理」すれば教室空間がより豊かになるのか、さまざまな実践のアイデアを共有し、公民科教育の地平を切り拓いていけたらと思っています。