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公共 NEWS

鈴木寛×佐渡島庸平「なぜ僕たちは公共の教科書を作ったのか?」

教育図書では2022年度の高校の公民科新科目「公共」教科書を発刊します。 総監修者の鈴木寛さんとマンガページの編集を担当した佐渡島庸平さんの対談をお届けします。 なぜ二人は教科書の編集という異業種にチャレンジしたのか?日本の教育をどう変えたいと考えているのか?たっぷりとお話をうかがってきました。

(取材・構成/篠宮祐介 教育図書編集部)

公共 教科書

高等学校公民科用 文部科学省検定済教科書 公共702 教育図書

なぜ今、新科目「公共」が必要なのか?

佐渡島:今回、教育図書から出るこの「公共」の教科書に僕も関わらせてもらいました。すずかんさんから、“教科書作りに参加し日本を良くすることに貢献してください”とお声掛けされてやらせていただくことになりました。
この「公共」という社会科の新教科は、なぜ今回新しくできたのか、公共という教科ができるのにすずかんさんも関わられているんですか?

鈴木:そうですね。その経緯をまずお話ししましょう。
今はVUCAの時代というふうに言われていて、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)、要するに世の中これからよく分からないということなんですね。私はOECDの教育2030年プロジェクトにもずっと関わっているのですけれども、そういう時代の人材をどうしたらいいかという課題をずっと考えています。
そこで重要なキーワードは「板挟み」「想定外」なんですね。コロナ禍になって「想定外」という言葉は改めて説明する必要はなくなりました。「板挟み」についてもコロナの影響によりあちこちで起こっています。命は大事だけれど飲食店が閉まってしまうとそこで働いている人たちの仕事もなくなってしまう、というジレンマですね。私はもともと東日本大震災の現場で政策に携わっていました。今年でちょうど10年が経ちますが、10年に1回くらいの確率で世界や日本が震撼するくらいの板挟みと想定外があるということですよね。子供たちの人生が100年だとしたら、人生で10回ぐらいこのマグニチュードの板挟みと想定外に向き合っていかなければいけないということなんです。そのときに必要な資質を養う教育とは何か?公共という科目はそのひとつだと考えています。

佐渡島:今のネット上の議論を見ていると、何か失言があったらすぐ辞めろとか、文脈は関係なくその失言だけが取り沙汰される傾向がとても強いと感じています。この根底にあるのは要するに正解主義ですよね。言っていい正解と、駄目な不正解があって、駄目なことを言った人は社会の人前から消えろ、正解の人だけが頑張りなさい、みたいな形で極端な正解主義。すべての問題に良い面と悪い面があり、失言をする人の思想も含めてマイナスだけれどもプラスの部分もある。その中で何を問題とすべきなのか、どうやって話し合えばいいのか。そういう場が少なくなっていると思います。とにかく間違っていたら退場しろ、謝り続けろと。刑務所に入って刑期を終えていても社会に復帰しちゃ駄目だと怒る人がいたりもしますよね。その人たちを追い詰めて社会から抹殺するのはOKだと思っている。僕たちが今生きている社会は歴史の過程のなかで、「リンチはなしだ」という合意のうえで社会構築されたのに、インターネットの中でもう一度リンチが自由に行われる社会に戻ってきてしまっているような感覚がある。

公共とは正義と正義のぶつかり合い

鈴木:公共的であるということは、いろんな正義がぶつかってしまうことでもあるんですよ。コロナなんて典型だけれども、みんな一部正しいことは必ず含んでいて、真剣にお医者さんたちは感染者を減らしたいと。これも正しいですよね。でももちろん飲食店も雇用を守りたい。これも正しいですよね。正義と正義とのぶつかり合いで、どちらが正しいなんて言えない。僕が少なくとも「公共」を通じて訴えたいことは、火中の栗を拾って板挟まれている人が、まさに公共の担い手ということなんです。そのことがいかに大変なことで、極めて尊いことだということを理解してほしい。
今、佐渡島さんが言われたような状態が続くと、誰も公共の、公(おおやけ)の仕事をしなくなりますよ。ビジネスというのは正解が極めてクリア。要するに利益を上げることに貢献した人は正しい。しかし公共的な仕事にはいろんな物差しがあって、その物差しと物差しのぶつかり合い。ということは、常に51対49なんですよね。公共の仕事をするということは49の人からボロクソに言われるわけですよね。そんな大変なことをやってくれている人に対するリスペクトがなければいけない。

佐渡島:今のSNSがまずいなと思うのは、自分から見て間違ったことは喋るな、という空気ですね。お互いに考えが違っても自由に自分の主張を言い合える権利を、たくさんの人の命を犠牲にしながらも人類は守ってきたのに、それがあまりにも簡単に封じられようとしている。そういうことを丁寧に勉強できる教科がなくて、公共ではそれをやりたいなと思っています。

鈴木:社会科は本当はそういうことを一番やらなくてはいけない。本来そうである社会科が、最も正解を教えてどれだけ正解を覚えたかという正解主義と暗記力の権化みたいなものになっている。社会科教育というのを暗記中心・知識中心ではなく、まさに思考力を養う、あるいは世の中を深く理解するための科目として社会科自体の位置付けを本来の場所に戻したかった。

資本主義と公共性について

佐渡島:僕が関わらせてもらった教育図書の公共の教科書では、金融政策や投資、今のベンチャーの仕組みなど、そういう分野に関しても考えられる題材を入れています。ただし危惧するのは、今の社会は金融が進みすぎ株式マーケットに出ているお金が増えてしまった結果、すごくお金を持っている人達が正解を知っているかのように思われている風潮があるように感じています。彼らに託せば世界は良くなるというような。でも、たとえばビル・ゲイツやイーロン・マスクにしても彼らはビジネスとして正解する方法は知っているけれども、公共としての正解は知らない。彼らは必ずしも公共のために自分の人生を使っているわけではない。しかし結果として彼らはビジネスを通じて世界を良くしているんですね。このような経済と公共性の複雑な在り方をこの教科書では“投資家にとっての良い企業とは?”という問いで考えさせようとしているんですね。

公共 教科書

公共教科書p154-155より

それと同時に、この教科書の素晴らしいところは“寄付とはなんだろう?”みたいな資本主義の外に出ることを考えられないか、ということにトライしている点です。今の日本は「資本主義の外」に対しての理解が弱くなってしまっている。戦後の復興の中で、まずは経済を立ち直らせるというところに重点が置かれた結果、元々日本にあった社会の仕組み、つまり公共の概念が弱くなってしまっているおそれも結構あると思うんです。だからこそ「公共」という教科はとても重要な役割を担っていると思います。教科書でも、それが要所でうまく入っている。

鈴木:それと出版元の教育図書さんは、社会科へ新規参入している。これが大事でね。「公共」はいい意味で非連続で新しい科目なんです。決して「現代社会」の焼き直しではないということをすごく大事にしたいと思います。
それから佐渡島さんがおっしゃっていたように、今、資本主義というのはすごく大事なステージに来ていると思うんですよね。新古典派が出てきて約50年、ケインズから見れば100年ですから。やはり50年に1回くらい、資本主義は相当見直しが迫られる。ちょうど今、その入り口に来ているんですね。公益資本主義という考え方はもちろん大事なんですけど、それをどのように実践していくのかということを議論しなければならない。それをやる世代がこれからの高校生や大学生、あるいは中学生なんですよね。その時にこの教科書が役立ってほしいと思います。
日本の資本主義に関する議論というのは2周遅れなんですよ。先程お話しがあったビル・ゲイツにしても、もう資本主義を卒業して、彼は今ビル&メリンダ・ゲイツ財団にフルコミットしていますよね。ポリオの撲滅やトイレの設置など、世界の公衆衛生や健康問題に全力投球している。ビル・ゲイツも今まさに自ら試行錯誤しながら学び、トライ&エラー&ラーン(learn)をしている最中なわけですね。まさにそこで一緒に次の世代はやっていかなければいけない。「公共」はそのスタートにもなるかなと思っています。
その時にもう一つ大事なのは、「正解のない問題を考える」ということと、「概念知識の深い理解」。細かい知識はインターネットで検索すればいくらでも出てくるけれど、鍵となる概念。人類がいろんな試行錯誤を経て、作り上げ実現してきた価値。たとえば表現の自由と民主主義ですね。民主主義にとって表現の自由はなぜこんなに大切なのかということは、コアとなる概念については深く分かっておかないと理解できません。それを分かった上で正解のない問題を考える。この往還が大事だと思っています。

表現の自由こそが公共の基盤

佐渡島:何が正しいかを話し合ってどっちが51%なのかを見極めるためには、お互いに間違っている!と指摘し合うのではなく、ぜんぶ出尽くすまで自由に話せるようにするということが一番重要で、その後にやっと公共が立ち上がってくると思うんです。だから公共の基礎の基礎には表現の自由があると思うのですよね。

鈴木:その通り、表現の自由がすごく大事。なぜなら必ず理由があってそういう発言をしているんですよ。表現が稚拙だったり思い込みが激しかったり、完璧な人はいない。まず表現の自由。次に、なぜその人はそういう発言をしたのかということの真意や背景だとか文脈をより深く理解し、あるいは推理する。必ず理由があるんですよね。間違ってしまった理由もあるし、間違ったことを言い続けている理由もある。結論よりもそこに至る思考のプロセスであったり、その正義を正義であると主張する理由というのがものすごく大事。理由を理解したり理由を考えたり。そうすると「確かにそれも一理あるよね」となる。でも主張はぶつかってしまうよねと。それをアウフヘーベン、乗り越えて行くためにはどうしたらいいかと知恵を絞ることでコミュニティがバージョンアップしていくわけです。

佐渡島:言葉というものはそれ自体がすごく抽象度が高いものなので、違う背景を持って育った人たちが同じ日本語を使ったとしても言葉がすれ違うことがある。その時に“相手がおかしい”ではなくて、真意と背景を想像する力を鍛えるための教科というのはひとつもない。今回の教育図書の公共は、それが十全なところまではいけていると思わないですけれども、そういうことを考え出すきっかけにはなるかなと。また、そういう教科を学校教育にしっかりと入れていこうという、ある意味で文科省の挑戦の第一歩だなと思っていて、僕はすごく大切な第一歩だと思っています。そこにちょっとでも僕の編集力が役に立てればと思ってやらせていただきました。

なぜ教科書に漫画を入れたのか?

佐渡島:今回はこの教科書を作るにあたって、まず最初にほぼ「問い」だけで構成した大胆な形でサンプルを作らせてもらいました。学校の教科書を作る時にサンプルを作って先生達にヒアリングをして作り直すことはあまりやらないらしいですけれども、商業出版ではよくあることです。今回はそれを作ってヒアリングしたら、先生たちは「これは教えにくい」「今までのものとあまりに違いすぎる…」という声が多く(苦笑)。誰も使わないものを作っても意味がないので、もう少し今の形に合わせたものにしましょうという形で今の形に着地しました。ただし最初に考えた「問い」はすべてアイスブレイク的な形で漫画で入れました。ちなみに一番初めに出てくる漫画は「私は自由か?」という問いかけの4コマ漫画です。

公共の教科書

公共教科書p004より

僕は中学生の時に親の仕事の関係で南アフリカに住んでいたのですけれども、当時の南アフリカって治安がめちゃくちゃ悪いんですよ。3年間住んでいたのですが、家から自分ひとりで一歩も外に出たことはなかった。親の車に乗せてもらわないと外出できない。初めて好きな女の子ができてデートに誘ったんですが、親に車で送ってほしいと頼んだ後にそのコに告白してフラれる、結局、車が必要なくなった…という恥ずかしい体験もしました(笑)。それくらい自由ではない。家族は嫌だとは思わなかったけれども、自由だとは思わなかった。大人になりたいと思った。子供は親のものなのか?子供はいつから自分の人生を自由に生きられるのか?この一つの問いでも分からないですよね。多分それをずっと考え続けるし、答えが出なくて一学期中議論できるかもしれない。

鈴木:一学期中どころか“この事を一生考えたい”とか“4年間このことについて大学で学びたい”とかそういうきっかけにもなってくると思うんですよね。

佐渡島:国によっては10歳以下の子供をひとりにしていたら、それだけで親が罪に問われることになりますからね。

鈴木:先進国でもそういう国は多い。というかほとんどそうです。

佐渡島:鍵っ子みたいなものは法的に許されない国は結構ある。

鈴木:日本は小学生や中学生が当たり前のように公共交通機関で塾に行ったりする。これも国によってはアウトです。

佐渡島:そういう国だと子供は10歳までは親が保護する存在で、法的に子供は所有物のような扱いになっているという国がたくさんあるんですよね。

鈴木:それだけ日本は安全だということでもあるんですけど。当たり前ということが全然当たり前じゃないということですね。

公共は正解がない教科だから面白い

鈴木もう一つ「公共」でやりたいことは、大人も含めて今は皆思考停止になっているんですよ。もう1回改めて大人は思考を再開し、子供は思考を始める。大人や世の中から言われたことを鵜呑みにするんじゃなくて、自分で考え自分で試行してみる。そこのきっかけに教科書の漫画を使ってもらえたらいいなと思います。4コマ漫画から入って深い議論へたどっていく。1ページ目から2ページ目まで行くのに3ヶ月ぐらいかかっちゃう可能性があるくらい(笑)

佐渡島:知識の部分は文章で読んで理解して、分からなければ先生に聞けばいい。でも仲間と一緒に授業を受ける楽しみというのは、議論をできたりすることにあります。僕としては、すべての授業を公共と同じように、思考から始まるような建てつけに教科書や教材を変えていきたいんです。

鈴木:たとえば数学。なぜ連立方程式を教えているのかといえば、方程式は全部制約条件なんですね。三元連立方程式になれば三つの制約条件がある。要するに「板挟み」なんです。方程式と方程式の間の板挟みを解いてるのが連立方程式。ただし数学的には、解があるという場合と、解なしという場合があるわけですね。解なしになった場合にどうするか、その先は「公共」で引き取りましょうということ建てつけですね。

佐渡島公共というのは解がない教科ということですよね。

鈴木:一つではない。複数解。これはとても重要です。一般普遍解と同時に個別暫定解もあるということ。さまざま課題について何かしらの解は必要です。それが個別解であり、そして暫定解である場合もあるんです。だから事情があったら次の日に直していいですよと。一般普遍解だと思うから一回決めた事を直したらいけないとか、あるいは今の行政なんかは無謬性と言って過去に決めたことを間違っていましたと言えないことによって自縄自縛になっているわけでして。でもそれは暫定解だと言えば、いい意味での朝令暮改ができるわけですよ。ところが実際は、前に決めたことと違うことをするとボロクソに叩かれるでしょ。

佐渡島:そうすると間違った解でもしがみついてしまう。

鈴木:とても不幸なことです。“言っちゃったからな”とか“半年前に決めちゃったからな”とか。政策をやっている人でも、本当はここを直したいんだけど直すとまた記者会見で追及されちゃうとか。結果はどんどんずれていってしまう。そういうことは歴史を紐解くと実はいろんなところで起こっている。歴史を学びながら、次の世代はそういう間違い、不幸をなるべく減らすということも公共で考えて欲しい。社会問題について考える時に、たとえばこの教科書では水俣病を取り上げていますが、50年前の公害の議論が、今起こっている問題と実は構造は似ているということです。

公共の教科書

公共教科書 P022-023より

佐渡島:社会が何とか乗り越え解決してきた事がうまく伝承されていない。今の社会の息苦しさって、社会の中のコミュニティごとの分断であると同時に、自分たちの存在していた過去のコミュニティとも分断してしまっていて、孤立して生きている。なぜか自分達のほうが過去の人達よりもなにか知っていたり、賢かったりするような気持ちの中で行動してしまっている。その結果、間違ったことを正しいと思ってしまうということが起きているような気がするんですよね。僕らが対処法を知っていることに関してはその対処法を使い、知らないことに関してはどう議論を尽くすか。

AIの時代に学校教育は何を教えるべきか?

鈴木:対処法を知っていることはAIに任せればいいのです。人間の仕事というのは何かというと、対処法がわからない、AIでは解けないことにある。AIで解けないことって実は相当あるんです。そこに人間が集中できるようにしておくということ。今までの高校教育は、AIができることを一生懸命やっていた。このままだとAIに取って代わられる能力をいまだに磨いていて本当にいいんですか、その教育が将来の大量の失業者を養成しているということを自覚しなければいけないですね。私は人間にしかできないことはまだまだいっぱいあると思っていて、教育もそこにもっとシフトしなければいけない。そのための準備をしていく。

佐渡島:そういうふうに考えると学校の授業はこれからもっと面白くなっていく予感がしますね。

鈴木:今から面白いですよ。これは本当に小さな一歩ですけれども、教科書“を”教えるのではなく、教科書“で”教える。ここからいろんなことを子どもたちに考えてもらって、学校の先生にも考えてもらって、この教科書はその素材です。

いま学校はいろんな課題を抱えているので、そういったことに対して向き合える。OECD教育2030というプロジェクトの中で、これから大事にしたい教育の目的が三つあります。Creating new value、価値を創造するというのが一つ。公共との関係で言うと、バリューというのは経済的バリューだけではない。命をはじめとしたいろんな社会的価値というのがあって、バリューとは何かということを考える。二つ目はTaking responsibility、責任を取るということ。責任とは何なのか、責任って果たして取れるのか、取りきれるのか。そういうことをもう一回考え直す。たとえばAIになると自動運転車が事故を起こした場合にはどうなるか。それを作った自動車メーカーの責任なのか、そのソフトを作ったAIのエンジニアが責任を取らなきゃいけないのか。そうすると自動車保険のシステム自体を作り直さなければいけないとか。責任ということを一つとっても社会の作り方をもう1回全部考えなければいけない。責任って何なのか、義務って何なのか、権利って何なのかということも考えてほしい。三つ目が今回の一番新しくオリジナリティなのですけれども、Reconciling tensions and dilemmas緊張やジレンマと向き合っていく力。これは今日の話の中心テーマでもあります。自ら板挟まれる。

 誰が公共的な役割を担っているのか?

 鈴木:今の日本の公共のことを考えると憂鬱になるのは、公共的な役割を果たしている人を闇雲に叩く風潮が強いということです。でも誰かそういうことをやってくれないと世の中は成立しないわけで、まずはリスペクトして欲しい。これは鶏と卵なんですけれども、今みたいな公共空間だと誰も公務員にならないですよ。誰も公的な職業につかない。それこそ校長先生とか教頭先生になりたい教員が少ないというのもその現れです。僕らの時代は、給料は決して高くないけれども公の仕事をやってくれている人に対してリスペクトがあった。今私がとても危惧しているのは、先生が定型例ですけれども、経済的にそんなに報われるわけじゃないのにものすごく大変な思いをして頑張ってくれている。教員は多忙だというけれど、昔も多忙だったんですよ。だけど何が違うかというと、教員をはじめ医師とか医療職とか、そういう人に対して社会的なリスペクトや感謝があった。それを取り戻したい。コロナ禍があって、医療従事者に対しての感謝が始まりましたけれども。そうした環境によって、公の担い手になることに対する負荷が減るんですよ。周りがリスペクトとか感謝に満ちた空間になってくれば、だったら自分もやってみようか、大変だけどやってみようかと。やりがいがある仕事だと。そうしたら少しずつ、なり手が増えてくるはずです。

佐渡島:たとえばフランス革命の時って、ルイ16世とかマリー・アントワネットとか、あの人達さえいなくなればいいんだというわけでギロチンにしちゃったわけじゃないですか。同じように今の社会がおかしい、うまくいっていないのは公共の職についている人達がダメだからだという勘違いがすごく大きいと思います。

この公共の教科書で学んだ若い世代の人たちから、公の仕事に就くということがもう一度やりがいのある仕事、儲かるからやりがいのあるというわけではなくて、その能力にふさわしい収入とリスペクトとの組み合わせで、やりがいのある仕事へ就けるような社会を構築していきたいですよね。

鈴木:公の仕事と言うとすごく大上段過ぎちゃうんだけど、要は学級委員をやりましょう、生徒会長をやりましょう、副会長をやりましょうということが僕は第一歩だと思う。今はそういうものに立候補する人がいなくなっちゃっている。面倒臭いから。大変だから。もちろん大変ですよ。僕も高校の時に体育祭実行委員とか文化祭実行委員をやったけど、まず最初の変化としては実行委員をやってみようという生徒が増えるといい。大変だったけどみんなすごく喜んでくれているなという感覚。私は今でも文化祭実行委員とか体育祭実行委員を一緒にやったり新聞を作った高校時代の友人とは付き合いがある。
別に公務員に限定した話ではなくて、世の中にある仕事って人間3人集まれば板挟みの連続ですから、それでいいんだと思うんですよ。今回も協働的な学びということを令和時代の新しい教育の中で出しているんですけれども、日本って実は共同的問題解決って得意なんですよ。受験勉強はその典型で、ひとりひとりの力をマックスにして正解のある答えで入試を突破していく。これも大事なんだけれども、あまりにも偏重してしまった。これからは仲間あるいはコミュニティーで一緒に、一人では絶対できない価値を作っていくという方向に進んでほしい。音楽でいえばバンドとか合唱ですよ。

佐渡島:でもバンドってけっこう別れちゃうじゃないですか(笑)。別れずに済むための考え方が「公共」ですよね。

鈴木:どうしてもバンドが面倒臭くてソロになったりするんだけれども、ソロじゃできない音楽は絶対あるんですよね。

公共的な人と人のつながり

佐渡島:日本人全員が同じ考え方をする必要はない、違う考え方を持ちながら協力する。この教科書の中にある漫画ですごく面白いものがあって「見知らぬ国の人を助けるべきか?」というタイトルです。主人公の女の子は近所の浮浪者を見て「どこまでが近くの人で、どこからが遠くの人なのか?」と考えるんですね。この主人公のように想像力をはたらかせた議論が行われるようになると嬉しいですね。

鈴木:今おっしゃったように、想像力ってめちゃくちゃ大事。一見近い人が実は遠かったり、一見遠い人は実は近かったり。そこの想像力もとても重要ですよね。アフリカの人って一見遠いかもしれないけど実はすごく近かったり。そこらへんが自在になってくるといいですよね。みんな自分の世界が小さくなっちゃっている。ネットが流行すればするほど小さくなっているというのが、ものすごく皮肉なんだけれども。繋がれるのに繋がっていない。

佐渡島:ネットでは今まで、相手のほとんどを見ないでも、ある一点だけ一緒だったりすると繋がれると思っていて、それはそれで良かったんです。ところがコロナ禍の影響で過剰にネットで繋がったせいで相手の活動がずっと見えてしまった。それでここが違う、あそこが違うと見えてきて、違う人間とは繋がれない、と怒り出しちゃう人が増えています。でも当たり前ですが、考え方が全部一緒だなんてことはあり得ないし、そんなコミュニティもない。

鈴木:0か100なんですよ。でも0も100もないんですよ。ある部分、ある期間だけ組めるよねと。

佐渡島:それが、利己的で、都合のいい時だけ組んでいるという話ではなくて、いろいろなケースがあって、その時々に応じて話し合いながら協力していくことを学ぶのも公共的な態度ですよね。

鈴木:いつ何時、誰と組むことになるかが分からないということですよね。最初にこれからはVUCAの時代だと言いました。ある想定外が起こった時に、誰の世話になるか、誰が助けになるかというのは分からないんですよ。ということは、いろんな多様な仲間がいる、多様な人と仲間になれるということがこれからVUCAの時代のリスクを生き抜いていくのにすごく大事なんですよね。だから価値が大事なんですよね。東日本大震災の時にお金を持っていても仕方なくて、欲しいのはガソリンや水なんですよ。あるいは避難所で絵本や漫画がすごく大事で。福沢諭吉を見てもニヤニヤできない。だから僕らは漫画を送りました。それによって子供達が和んだり静かにしてくれたり楽しい時間を過ごしてくれて、それが大人にも安心感を与えた。何が役立つかというのは本当に分からない。いろいろ考えられる想像力が大切です。

おわりに

佐渡島:この公共の教科書、すずかんさんにお声がけいただいて、いろいろ議論しながら作らせていただきました。すずかんさんは、どんな感想をお持ちですか?

鈴木:やっぱり全然違うなと、違う人と組んで一緒にやると本当に視点が広がるなと思いました。とても面白かったです。その分、手間もかかりましたけどね。紆余曲折のプロセスが気づきとか学びになりました。その作業自体が公共的な学びだったとも言えますね。

佐渡島:そうですね。おそらく他のものとはかなり違う新しい教科書になっていると思います。社会科の先生たちにはぜひ手に取って読んでみてほしいですね。

(了)

教科書の詳しい情報は教育図書のホームページで公開しています。

 

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鈴木寛 SUZUKI HIROSHI

東京大学公共政策大学院/慶應義塾大学政策・メディア研究科教授

1964年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省、慶應義塾大学助教授を経て参議院議員(12年間)。文部科学副大臣(2期)、文部科学大臣補佐官(4期)などを歴任。教育、医療、スポーツ、文化、科学技術イノベーションに関する政策づくりや各種プロデュースを中心に活動。現在、大阪大学招聘教授、千葉大学医学部客員教授、神奈川県参与、OECD教育スキル局教育2030プロジェクト役員、World Economic Forum Global Future Council member, Asia Society Global Education Center Advisor, Teach for All Global board member、日本サッカー協会理事、ユニバーサル未来推進協議会会長なども務める。2020年より渋谷区参与。1995年より今も続く私塾「すずかんゼミ」では多数のIT・メディアベンチャー、社会起業家、アーティスト、教育改革者などを多数輩出している。

 

佐渡島庸平 SADOSHIMA YOUHEI

株式会社コルク代表取締役会長兼社長CEO

2002年講談社入社。週刊モーニング編集部にて、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)などの編集を担当する。2012年講談社退社後、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。

 

 

 

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