多くの方が、自分はお金に支配されていない、大丈夫だと思っているかもしれません。しかし、「モノの価値」を考えるとき、なかなか私たちはお金の支配から逃れられず、経済的価値、つまりモノの価格を気にしてしまいます。
お正月にデパートで福袋を買われたことはありますか?僕は今年、洋服屋さんで1万円の福袋を買いました。中にはジャケットや帽子やTシャツが入っていました。福袋の中に入っていた商品の定価が気になって、ネットで調べるのは僕だけではないはずです。調べてみると総額5万円でした。こういうとき、4万円得した気になりませんか?
ところが、福袋に入っていた黄色いジャケットは派手すぎるし、帽子も普段かぶらないから、両方ともクローゼットの中に入れっぱなしになりそうです。僕は、おそらく1万円分も着ないで捨ててしまうことになるので、とても4万円得しているとは思えません。この定価5万円というのは、ただの経済的な価値です。ここでも、「お金ではなく人々を主役に置く」という視点が重要です。
洋服屋さんの立場であれば、最終的に服をお金に変えるわけですから、原価や定価などの経済的価値がモノの価値になります。しかし、消費する立場であれば、お金に交換するためにその服を保有しているわけではありません。自分がその服を着て幸せな気分を味わうわけですから、その価値は自分が決めることになります。家のクローゼットの中で一番高い服が、お気に入りの洋服とは限りませんよね。自分の好みのデザインでなくても、我が子や生徒がプレゼントしてくれたネクタイやハンカチであれば、別の価値もありますよね。「モノの価値」を測るとき、一人の人でも様々な尺度があるはずです。 もちろん、その尺度、価値観は人によって異なります。
経済や金融では、全体を一つの分かりやすい尺度で表すために、モノの価値はその経済的価値、つまり価格によって定義されています。この価格という経済的価値は、あくまで経済や金融の世界の中で全体の事象を一つの数字として扱うための物差しとして、やむを得ず使っています。自分にとっての価値を測るために、自分だけの物差しを別に持たないといけません。経済的価値、つまりお金が自分の物差しになっていると、お金に支配されて生きることになります。経済的価値でモノの価値を測る方法だけを教えると、お金だけを追い求め、大切なものを失う怖れがあります。そのためにも、経済や金融で扱う経済的価値が絶対的な価値ではなく、一人ひとりが価値を測る物差しを持つことが大切だと子供たちに伝える必要があります。
お金は働かない、誰かが働いている
お金の働きというと、「物と交換できる」と思われる方も多いでしょう。しかし、今年、新型コロナによって生活が制限される中、僕たちが改めて気づかされたことがあります。働いてくれる人がいるからこそ、お金を物やサービスに交換できるということです。医療サービス、デリバリーの食料や生活用品など、お金があるから手に入れられるわけではありません。医療従事者、食料品店、輸送や配達をするドライバーなど、感染リスクを気にしながらも働いてくれる人がいるから、生活ができるのです。
大昔、人々は、自分や家族など一緒に暮らしている人のためにしか働かず、狭い社会で生きていました。やがて物々交換を始めるようになると、自分が所有しているものを他の人が所有しているものと交換して、社会を少し広げます。つまり、「自分たちのために働く人」のためにも、働くようになります。さらに、貨幣の出現によって、社会が一気に広がり、知らない誰かのために働くことが可能になったのです。
「誰かのために、誰かに働いてもらう」ことを実現しているのがお金なのであって、お金自体が物に変わるのではありません。ここでも、いつもの「お金ではなく人々を主役に置く」という視点がカギになります。
お金は「使う」「稼ぐ」「投資する」「貸す」「寄付する」など、いろんな形態で人から人へ移動します。お金が移動するときに、誰が働くのか、誰のためになるのかを意識すると、お金の働きが立体的に見えてきます。
例えば、腕時計を買ったという消費について考えてみましょう。お金の働きを「物との交換」と捉えるなら、お金と腕時計が交換されただけです。しかし、この考え方を使うと、「自分のために、時計職人が働いてくれた」ということになります。この腕時計が恋人へのプレゼントであれば、「自分の恋人のために、時計職人が働いてくれた」ことになります。同じように、レストランで皿洗いのアルバイトをしてお金を稼ぐ行為は、「お金のためにアルバイトをする」のではなく、「レストランのお客さんのために、自分が働いた」ということになります。直接、相手の姿が見えていない仕事でも、必ず誰かの幸せに繋がっているのです。
投資はどうでしょうか。あるおもちゃ会社の新規発行株式に投資した場合、そのお金はおもちゃ会社が工場を建てたり、新たに人を雇ったりすることに使われます。この場合、投資されたお金の働きは、「おもちゃ会社のために、建設業者が働く」または、「おもちゃ会社やそのお客さんである子供たちのために、従業員が働く」ということになります。新規株式への投資という視点だと、投資効率や収益性しか考えなくなりますが、「誰のために誰が働くことになるのか」という視点によって、人々や社会との繋がりも考えるようになり、ESG投資のような発想も生まれてきます。
「寄付する」というお金の移動もあります。例えば、子ども食堂に寄付をすれば、「様々な事情でお腹を空かせた子どもたちのために、農家やスーパーマーケット、食堂の人たちが働いてくれる」ことになります。寄付という行為は、日本ではなかなか馴染みの薄く、多くの人の選択肢に入ってきません。新型コロナの経済対策で、一人につき10万円が給付されました。不要な人は辞退することができるようになっていました。しかし、自分のために不要であっても、寄付によって、他の人のために使うことができるのです。辞退することによって、その使い道を政府に任せることになったことに留意しないといけないのです。
「投資とは、お金が働いてくれること」と言う人もいますが、お金は働いてくれません。お金の移動によって、誰かが誰かのために働いてくれるのです。さきほど、「みんなが2000万円貯めようとしても、老後2000万円問題は解決しない」とお話ししました。そもそも、年金の財源が足りなくなるのは、労働人口が減ってしまうところにあります。お金自体が物やサービスに変わるわけでは無いですから、お金を貯めても働く人がいなくなると生活していけなくなるのです。全員が投資だけ考えて、仮想通貨や株式の売り買いを繰り返していても誰も生活していけません。金融の勉強は投資によるお金儲けの勉強なのではなく、共に働いて生きていくためにどうすればいいかを考える勉強なのです。まずは、お金について「考える」。そのうえで、金融の仕組みや制度など「読む」勉強に移っていけば、どうしてそういう仕組みが存在しているのか考えながら学ぶことができます。
お金を増やすためではなく、社会全体の幸福を実現するための金融
いま、「お金の役割」とGoogleで検索すると、(1)価値の尺度、(2)交換手段、(3)価値貯蔵手段と出てきました。この3つの役割を読んだ上で、考え始めていたら、誤解していたことも多いのではないでしょうか。(1)を読むと、物の価値は価格だとすり込まれるでしょう。(2)を読むと、働く人の存在を無視して、お金自体が物やサービスに変わると思ったかもしれません。(3)の理解が浅いと、全員が2000万円貯めることで年金問題が解決すると思ってしまいます。やはり「お金の役割」を学ぶためには、検索で出てくるような「読む」知識だけではダメで、学校教育でしっかり「考えさせる」必要があると思います。
現代社会では、多様な生き方が許容されやすくなりました。一人ひとりが自分自身の物差しを持ち、自分が幸せだと思える人生を一から設計することができます。それは人より多くお金を儲けて、ぜいたくな暮らしをすることでは必ずしもないはずです。お金を儲けるためではなく、自分の設計したライフプランを実現するために、金融システムを利用するというように考えさせる必要があります。さらにこの金融システムは、お金の存在ではなく、働く人々の存在によって成り立っています。つまり、自分の幸せを実現するために、他の多くの人たちにも影響を与えることになります。自分だけでなく、社会全体の幸せも考えるようになることが、金融教育で求められていることではないでしょうか。