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家庭科 NEWS

家庭科資料集 LIFE INTERVIEW WEB版「夢中になれるものができれば、過去は変えられる。」

10歳のときに車いすテニス界のレジェンド、国枝慎吾選手のプレーを見て競技を始め、わずか4年ほどでジュニアの世界ランキング1位に輝き、2023年には車いすテニスの四大大会である全仏オープン、ウィンブルドン選手権を史上最年少で制した小田凱人(ときと)選手。

世界各国の屈強なおとなたちを相手に、「四大大会すべてで優勝(グランドスラム)」、「パリパラリンピックでの金メダル」という目標を掲げ、日々練習に励む17歳(取材時)の前向きで冷静な考え方は、きっと高校生のみなさんにとって生きるヒントになるでしょう。

※この記事は高等学校家庭科資料集『LIFEおとなガイドデジタル+』に掲載のインタビューを再構成しています。

 

Q.車いすテニスの難しさ、魅力はどのようなところですか?

「まさか自分が教材に載るなんて、うれしいです!」
そう喜びを語る小田選手が車いすテニスを始めたのは、10歳のころ。
9歳で左股関節に骨肉腫(骨にできるがん)を発症。
入院中に主治医の先生からさまざまなパラスポーツを紹介してもらったところ、動画サイトで見た車いすテニスに「ビビっときた」そうです。

小田選手

ロンドンパラリンピックで金メダルを獲った国枝慎吾選手の決勝を見て、「カッコいいな」と思ったことが車いすテニスを始めたきっかけでした。
競技を始めるまで生で見たことはなかったんですけど、「やってみたい」と思ったんです。
実際に会場で試合を見て(映像との)ギャップのすごさを体感したことで、より魅力的に映りました。

 

車いすテニスは、選手の体格や障がいの状態などに合わせてカスタマイズされたオリジナルの競技用車いすに乗ってプレー。
見どころは「車いすの操作」。
選手は自由自在に車いすを操り、強力なショットを打ち込んでいきます。
ほかにも「ショットやチェア操作の迫力のある音、ラリーのスピード感など、たくさんあります」と、小田選手。

小田選手

そこ(チェア操作)が一番難しいところでもあり、魅力でもありますね。
難しくて手こずる壁だからこそ、プレーしていておもしろい。
どのスポーツもそうですけど、技術面が見る際のポイント。
実際に生で見てもらえたら、想像を超えるような驚きがあると思いますし、選手もみんなそこを見てもらいたいと意識してやっています。
あまりメディアで取り上げられない、メジャーな競技ではないからこその発見がたくさんあると思うので、多くの人たちに知ってほしいと思います。

 

 

Q.車いすテニスの新時代を築いていく上で目指していることは?

2023年1月に、四大大会で男子歴代最多50勝の優勝を誇る38歳の世界的レジェンド、国枝慎吾選手が世界ランキング1位のまま現役を引退。
車いすテニス界のホープ--いや、世界のスーパースター候補は、17歳にして競技の未来も見据えます。

小田選手

やはりチケットを買ってもらって、実際に試合を見てもらわないと、競技全体のモチベーションは上がらないと思いますし、応援してもらえるから選手もがんばれる。
だから、もっとエンターテインメントとして成り立つくらいまでもっていかなければいけないとダメだと思っています。
もしそうなれば、スポンサーも現れて、いろいろな問題も解決するだろうし、車いすテニスの認知も広がります。
もっと試合に勝って、がんばって、人気競技にするという目標を早く達成したいです。
それが今、自分に求められていることだと思っています。

 

取材中、「会ってみたいアスリートは?」とたずねると「那須川天心選手です」と、少しはにかみながら答えた小田選手。
聞けば、趣味は「格闘技観戦」。
もともとはサッカー少年で、自身も左利きであることから、子どものころは元日本代表の本田圭佑選手がお気に入りだったと言います。

小田選手

残念ながら生で見たことはないんですけど、那須川選手の試合はどれもおもしろいですし、自然と「見たい」と思わせるような魅力があるので、一番影響を受けているかもしれません。
また、本田選手には、世界に打って出る上でのメンタリティーを見習いたいと思いましたし、いろいろな考えを自分から発信することが大事だということを学びました。
僕も、那須川選手のように「魅せる」プレーや「勝ち方」を意識できる選手になりたいですし、本田選手のように世界で戦っていきたい。
そのために大事なのは、事前の準備。
たくさん練習をして自信をつけたら、あとは当日の自分に任せて試合に臨みます。

 

Q.大勢の人に自分の想いを伝えるために、どのようなことが必要だと考えていますか?

全仏オープン、ウィンブルドン選手権を制して以降、テレビをはじめとするメディアへの露出が激増。
ウィンブルドン選手権の優勝インタビューでは、「お祝いにシャンパンを開けたいけど、まだ17歳なので炭酸水で乾杯します」とユーモアのあるスピーチで観衆を和ませる場面が印象的でした。
自身の発言や振る舞いがより影響力をもつようになる中、世界の第一線で活躍するアスリートの動画を見ては、より多くの人たちに「自分の想いや考え方を伝える」ための言動やマインドセットを学んできたそうです。

小田選手

とくに誰かを意識しているわけではありませんが、自分の言いたいことや考え方を「どう伝えるか?」ということは日々考えていますし、誰が聞いても不快に思わない言い方も意識しています。
(他のアスリートの)みなさんも言いたいことがあって、でも、ただ答えているだけではない。
いろいろなインタビューを見ることで、質問に答える+自分の思いを伝えようとする意志が大事なんだなと感じました。

 

スポーツという勝負の世界に身を置くトップアスリート。
プロである限り、勝てば賞賛されて、負ければ叩かれることもあります。
小田選手は、SNSとのつき合い方をどう考えているのでしょうか?

小田選手

僕は、いろいろなことに配慮はしつつも、割と自由にSNSで発信するようにしているんですけど、仮に試合に負けて叩かれたりするようなことがあっても気にしないですね。
ただ、「プロである以上、何か言われて当たり前だ」と覚悟してやっている中、現状では何も言われないところが少し辛いこともあって……
やはり「まだまだ注目されていない競技なんだな」と実感します。

パラスポーツだから叩きづらいとか、正直にいうとそういうところはあると思いますが、その壁を打ち破るのが僕の中での課題です。

 

Q.プロスポーツのアスリートとして心がけていることは?

中学校を卒業後、15歳でプロへと転向。
車いすテニスの未来を担う覚悟を語る一方で、友達の楽しそうなSNSを見て「普通の生活に戻りたい、青春したい!と思った」と正直な気持ちも聞かせてくれました。

小田選手

(プロになって)通信制の高校に入ったので、普通の高校に行きたかったな、学校行事で一番好きだった体育祭にももう出られないんだな……と思い、少し寂しくなることもありました。
ただ、プロになる前からずっと「気づかないところで失うものは絶対にある」という覚悟はしていました。
また、僕は「必ず有名になる」 「億万長者になるぞ」という強い気持ちでやってきたので、今は「何か失って当たり前、それがプロなんだ」と思っています。

 

もちろん、失ったぶん得たものもあります。
それは人が働き、生きていく上で、とても大事なことでした。

小田選手

「プロになってよかったな」と思えることもあります。
努力して結果が出たぶん賞金をもらえることもそうですし、海外ツアーでいろいろな都市を回れることも貴重な経験になりました。
あとは、やりがいですね。
日本の車いすテニスの土台は、国枝選手をはじめとする先輩方につくっていただいたので、これから僕がどれだけ盛り上げて、沸かせられるか? より永く人気を獲得できるような競技にできるか? ということを考えています。
障がい者でも健常者でも、趣味として車いすテニスの試合を楽しむ。
そうした文化が当たり前にある世界の実現につながるプレーをしたい。
同時に、次世代を担う若い選手も育てていきたいです。

 

Q.小田選手が発起人となったイベントでやりたいこととは?

その言葉どおり、2023年の8月には「ジュニア世代に活躍の場を提供したい」という強い想いから、日本で初めて国際テニス連盟が公認する車いすテニス・ジュニアの部の国際大会「岐阜オープン」をプロデュース。
全国から集まった子どもたちとテニスを通じて交流する「日本生命 HERO’S CUP」も開催しました。

小田選手

単純に、僕がジュニアの選手と交流したい、お互い刺激を与えられるような場になってほしいという想いで開催しました。
ですから、僕が教えるとか、アドバイスをするというより、同世代どうしでボールをシェアするだけでも何か得られるものがあればいいなと思っています。

 

子どもたちと交流するイベントでは、初めてラケットに触れるような子どももいたとのこと。

小田選手

僕ら選手にとっても、車いすテニス界を底上げするチャンスだと思いますし、子どもたちにとっても世界を目指す一歩になればうれしい。
今病気と闘っている子どもたちのヒーロー的な存在になれるような選手を目指して、これからも頑張っていきたいと考えています。
僕の他にもたくさん選手はいるので、10代の手で一緒に盛り上げて、その結果が競技への恩返しになればいいですね。

 

小田選手がプロデュースした車いすテニスの国際大会「岐阜オープン」には全国から50名を超える選手が出場

Q.テニスを離れた小田選手の素顔を教えてください

しっかりとした発言と考え方から思わず忘れてしまいそうですが、高校生だなと感じる瞬間もありました。
「好きだし、こだわっている」と語るファッションやヘアスタイルもそのひとつ。
最近では、小田選手の凛々しいルックスも相まって、メディアでもたびだび話題に上ります。

小田選手

ナイキとスポンサー契約を結んだことで、スニーカーを集めるようになりました。
今は洋服も、ナイキのラインナップにないスーツなどを除けば、すべてナイキです。
髪型もこだわっていて、一時期「(韓国ドラマ「梨泰院クラス」の)パク・セロイを意識してる?」と言われたんですけど、あれは偶然。
実はその人(セロイ)のことを知らなくて、名前を知って検索したら、すごく似ていたので驚きました。

 

趣味は格闘技観戦のほか、マジックペンで描くイラストや、始めたばかりというギター演奏も。
「ものづくりが好き」であることから家庭科の授業も積極的で「中学生のころはミシンの授業が楽しみでした」と語る小田選手。
また、コロナ禍で自宅にいることが多かった時期は、自分で料理をすることもあったそうです。
家庭科と関連して、アスリートとしての食生活についても聞いてみました。

小田選手

今は基本的に、お菓子とかジュース、デザート類は摂らないようにしていますが、それは主にメンタルトレーニングのためですね。
糖分の摂取量は関係なく、甘いものを我慢することでメンタルを鍛える。
それ以外は、サラダを多く食べますけど、試合会場では他の選手と比べて僕なんかガリガリのレベルに細いので、とにかくたくさん食べることを意識しています。
とはいえ、自分の武器はパワーではなくて、相手をいなすしなやかさだと思っていますから、筋肉を太くしないことを心がけています。

 

Q.「おとな」になること、ご自身の理想の「おとな」像とは?

名だたるタイトルを獲得し、次世代の選手の育成も考えるなど、人の何倍もの速度で走っているかのように思える小田選手。
成人を迎える18歳まで、あと少し。
今思うことは何でしょう?

小田選手

僕は、何かを追う姿勢であったり、チャレンジする気持ちを何歳になってももち続けていたいという意味で、ずっと子どもでいたいと考えています。
自分がやりたいことをやっていたいし、自由でいたいから、子どものパワーをもったままおとなになりたいというのが理想。
成人を迎えると、いろいろな責任も伴いますが、そこは変わらずにいたいですね。

 

2022年4月1日より成年年齢が20歳から18歳に引き下げられたことで、高校生であってもおとなと対等に接する機会が早まりました。
子どものころから年上の選手に揉まれていた小田選手に、高校生のみなさんへのアドバイスを聞いてみました。

小田選手

テニスを始めた10歳のときから周りはおとなの方ばかりだったので、接し方というのは自然に学んでいった感じです。
そのおかげで挨拶は徹底的に教え込まれました。
ですから、とにかく初めは、目上の人に元気に挨拶することから始めてみましょう。

 

Q.障がいをもつ人ともたない人の共生についてどう考えていますか?

あまり使わないと筋肉が衰えることから、ふだんの生活ではできるだけロフストランドクラッチ(前腕部支持型杖)を使用。
私たちが街中で障がいをもつ人と接する場面で心がけたいことは何か、小田選手の率直な意見を聞かせてもらいました。

小田選手

僕はもともと、いわゆる障がい者ではなかったので、どちら側の目線もわかります。
ひとつ思うのは、誰かが何か手伝ってくれることがあったときに、もしそれが「この人は障がいをもっているから」という理由ならば、少し違うな……という感じですね。
もちろん、手伝ってくれることはうれしいですし、ありがたいと思います。
でも、たとえば、僕が車いすから物を落としたときに拾ってくれるのと同じように、小さな子どもが落としても、おばあちゃん・おじいちゃんが落としても、拾って渡してあげる世の中であってほしい。
海外ではそれが当たり前ですけど、障がい者に限らず、困っている人、弱い人を普通に助けられるようになればいいなと思います。

 

以前インタビューで「障がいをもつことは辛いことではなく、人生の転機になった」と、前向きに語っていた小田選手。
その理由にも、同じようなニュアンスが含まれていました。

小田選手

僕の場合、子どものころに病気になったことを、周りは辛いこととして受け止めていたんですね。
もちろん、頭痛、めまい、吐き気、抗がん剤で髪の毛が抜けたり、体重減ったり苦しいこともありました。
だけど、治療を終えて普通の生活に戻って暮らしていくことを「すごい」とほめられることが、幼い僕にとっては少し疑問で……
たしかにサッカーはできなくなりましたけど、僕は退院後はすぐテニスコートに行って、スポーツをすることがただ楽しかった。

病気になったからといって、周りも別に何か変える必要はないという想いは、ずっと前からありました。
障がいは、そうではない人たちからするとハンディキャップです。
でも僕は、「病気=マイナス」ともハンディキャップとも思いたくないという強い想いでやってきました。
これからも、他人とは違う自分の強みに自信をもって競技に取り組んでいきたいと思います。

 

Q.これから「おとな」になる高校生のみなさんへメッセ―ジをお願いします

最後に、高校生のみなさんに何か一言!とお願いしたところ、「メッセージですか……」と少し照れながらも、真摯な言葉をいただきました。

小田選手

僕は病気になったり、それで大好きだったサッカーをあきらめたりという過去があって、それ以外にも、いろいろな苦しいことがありました。
でも、伝えたいのは「何があっても、そこから新しいもの見つけて、夢中になれるものができれば、その過去はすべて変えられる」ということですね。

人は、ネガティブになったり、いろいろなことがダメになったりすると「あれが原因でこうなった」と過去をうらむ。
僕も車いすテニスで活躍していなければ、「あの病気のせいでこうなった」と思っていたはずです。
だけど、たとえ何が起こったとしても、それがもし、今起こったとしても、一年後の自分に可能性を抱けばいい。
逆に「あの辛いことがあったからこそ、今こうなれた」と思えるよう、前を向く。
ぜひ、未来の自分に期待して生きてほしいです。

 


 

『LIFEおとなガイドデジタル+』

定価:990円(本体900円)
コード番号:1047190
判型:AB判
ページ数:392ページ+口絵

小田凱人プロ車いすテニスプレーヤー

2006年5月8日生まれ。愛知県出身。9歳のときに骨のがんである骨肉腫を発症。闘病生活の後、車いすテニスを始め、史上最年少14歳11ヵ月でジュニア世界ランキング1位になる。その後2022年4月にプロ転向。16歳で初めてグランドスラムに出場し、世界ツアー最終戦であるマスターズで優勝。車いすテニスの四大大会である全仏オープン、ウィンブルドン選手権を連続で制した。2024年に行われるパラリンピック、パリ大会で金メダル獲得を目指す期待の星。身長175cm。東海理化所属。

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