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新科目「公共」では、内容A「公共の扉」の「(3)公共的な空間における基本的原理」で憲法・人権を扱うことになっています。学習指導要領には、日本国憲法との関わりに留意しながら、「人間の尊厳と平等、個人の尊重、民主主義、法の支配、自由・権利と責任・義務など、公共的な空間における基本的原理について理解する」とあります。
「現代社会」の場合、「政治・経済」の憲法・人権の項目をダイジェストで扱うという構成が比較的多かったと思います。しかし「公共」の場合、憲法の条文や判例をすべて取り上げることは求められていません。授業時間的にも難しいでしょう。では、どのような学習をすれば「公共的な空間における基本的原理について理解する」ことができるのでしょうか。
私は、複数の学校で公民科の科目を担当してきましたが、どの科目を担当してもハンセン病問題を取り上げています。基本的な素材や手法は科目によって変わりませんが、「現代社会」「政治・経済」では「憲法・人権」に寄せて、「倫理」では「人間の命と尊厳」に寄せて展開しています。
本コラムでは、ハンセン病問題の授業実践を紹介しながら、「公共」で憲法・人権をどう扱うか考えていきたいと思います。
目次
地誌の学習方法に「窓方式」(静態地誌)と言われるものがあります。これは、たとえばヨーロッパの地誌であったら、(ア)位置と歴史的背景、(イ)自然の特色、(ウ)住民と生活、(エ)資源と産業というように、地域を理解するための「窓」を設定し、その「窓」から地域の全体像を描くという学習方法です。それに対して、動態地誌という学習方法もあります。これは、たとえば「ヨーロッパの人口問題」など、地域の特質を示すテーマ・問いを中核として地域の全体像を描くというものです。
これまでの一般的な憲法・人権の学習は、「現代社会」でも「政治・経済」でも、地誌で言うところの「窓方式」になっていました。つまり個々の条文について、(ア)憲法の条文の紹介、(イ)歴史的背景・経緯、(ウ)判例といった「窓」から条文の全体像を理解していくという方式がとられていました。
しかし「公共」は、選択科目としての「倫理」「政治・経済」への橋渡しになる科目として位置づけられます。したがって憲法の条文を逐条的に取り上げたり、判例を網羅したりするのは、選択科目「政治・経済」に委ねるべきでしょう。すると、「公共」ではどんな憲法学習・人権学習をすればよいのでしょうか?
そこで、動態地誌の考え方が参考になります。つまり、取り上げる条文を象徴するテーマや問いを中核として条文の全体像に迫るという方法が考えられます。この方式なら、知識事項を網羅する必要がありません。各論・詳論を扱う「政治・経済」につながるように、中核的なメッセージを伝え、問題意識を育めばよいのです。
もとより人権尊重の精神は、教員が教えようと思っても教えらえるものではなく、人権が蹂躙された歴史から生徒が自ら学び取るしかありません。こうした学習に資する素材として、次項ではハンセン病問題を紹介します。
ハンセン病問題は、日本でおそらく最大の人権侵害が引き起こした問題です。
ハンセン病はらい菌による感染症です。皮膚や末梢神経が侵されるため、顔面や手足などに後遺症が際立つこともあり、世界各地で古くから恐れられてきました。有効な治療法がなく、不治の病とされてきました。
ハンセン病の患者は、全国に作られた療養所に強制的に隔離されました。隔離政策は、1907年の「癩予防ニ関スル件」に始まり、「癩予防法」(1931年)への改正で強化されました。他方でハンセン病の特効薬は1940年代に開発され、1950年代には、ハンセン病は投薬と通院治療で治る「普通」の病気になっていました。その時点で日本を除く世界の国々では隔離政策が廃止されましたが、日本では、何の科学的根拠もない隔離政策がさらに半世紀ほど継続されました。根拠法である「らい予防法」が廃止されたのは1996年のことです。
隔離政策が廃止されたにもかかわらず、今なお、国立13か所・私立1か所のハンセン病療養所には1094名の入所者が生活しています(2020年5月1日時点、平均年齢は86.3歳)。入所者は、後遺症は抱えているものの、ハンセン病自体は治癒している回復者です。病気が治っても療養所から出られない人たちがたくさんいるのはなぜか、私たちは想像力を働かせる必要があると思います。
その大きな理由が、社会に根強く残る差別・偏見です。ハンセン病の患者・回復者・家族に対する異常な差別・偏見は、戦前・戦後にかけて展開された官民一体の運動である「無らい県運動」によるところが大きいです。市民はハンセン病と疑わしき人がいれば、よかれと思って保健所・役所・警察に通報し、患者は強制的に療養所に送り込まれました。この運動によって、「ハンセン病は恐ろしい伝染病」「ハンセン病患者は地域社会に脅威をもたらす存在」といった誤った知識が市民に浸透しました。
療養所に入所した患者は、偽名(園名)を名乗らされ、園内作業に強制的に従事させられました。退所は許されず、外出も大幅に制限されていました。療養所内での結婚は認められていましたが、男性側の断種手術が条件でした。それでも期せずしてできてしまった子どもは、強制的に堕胎させられました。もちろんハンセン病は、親から子へ遺伝する病気ではなく、断種も堕胎も必要ありませんでした。
基本的人権の尊重をうたう戦後の日本国憲法のもとでさえ、ハンセン病患者・回復者・家族の人権は無視され、それどころかむしろ積極的に蹂躙されてきました。隔離政策の根拠法である「癩予防法」は、患者団体である全患協(全国国立らい療養所患者協議会)の命がけの反対闘争があったにもかかわらず、1953年に少し文面を改めただけの新法「らい予防法」が成立し、事実上存続しました。無らい県運動も1960年代まで続きました。
国が隔離政策の誤りを認めたのは、21世紀に入ってからでした。1998年からハンセン病国家賠償訴訟が各地で起こされ、2001年に熊本地裁の判決が確定しました。判決によると、らい予防法の隔離規定は、遅くとも1960年の時点で完全に根拠を失っており、違憲性が明白でした。その時点で隔離規定を撤廃し、社会に根深く存在するハンセン病への差別・偏見を取り除く義務が国にはありました。そうした義務を怠った国の不作為を判決は断罪し、国に元患者への謝罪、賠償金の支払い、そして名誉回復を命じました。
2016年から始まったハンセン病家族訴訟では、患者・回復者本人だけでなく、その家族も、国の誤った政策によって作り出された偏見・差別に苦しみ、「人生被害」を被ったとする熊本地裁の判決が確定しました(2019年)。
しかし、家族訴訟の原告561名のうち、実名を出して裁判を戦ったのは実に7名しかいません。家族に対する補償金についても、請求を済ませたのは6431名で、厚労省が推計する対象家族の26.7%にとどまっているといいます(『朝日新聞』2020年11月23日朝刊)。これらの事実から、現在の日本の社会が「私はハンセン病回復者の家族/遺族です」と堂々と言える社会ではないことは明白です。ハンセン病問題は、解決済の過去の問題ではなく、現在進行形の社会の問題であり、そうした社会をつくっている私たち自身の問題なのです。
授業では以上の概説を済ませた後に、「現代社会」「政治・経済」では、らい予防法(1953年制定 1996年廃止)を読むワークに移り、「倫理」では、東京都東村山市にある国立療養所・多磨全生園で暮らす回復者(故人)のインタビュー記事を読むワークに移ります(後者はWebコラムではうまく紹介できないので割愛します)。
授業で使ったプリントの一部をご紹介します。
らい予防法を読むワークでは、らい予防法の抜粋を配付し、「らい予防法のどういうところが、ハンセン病の患者・回復者のどんな人権を侵害したのだろうか? 憲法の条文を参照しつつ、まとめてみよう」と問いかけます。生徒は、らい予防法の条文と憲法の条文とを突き合わせて考えます。高校生であれば、小学生や中学生のときに憲法学習を既に行っているので、個人作業でもグループ作業でも20分ほどでまとめることができます。
生徒からよく出される論点は、憲法第13条(人格権・幸福追求権)、14条(法の下の平等)、18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)、22条(居住・移転・職業選択の自由)です。26条(教育を受ける権利)が侵害されていたことに気づく生徒もいます。さらに、32条(裁判を受ける権利)も侵害されてきましたし、家族に関しては24条1項(夫婦婚姻生活の自由)も侵害されてきました。
このワークを行うと、人権に関する憲法の条文を概観できます。けれども条文をただ読むのではなく、まして条文を暗記するのでもありません。国家の誤った政策によってハンセン病の患者・回復者・家族がどんな屈辱と不利益を強要されたのかを具体的に想定し、そこから、人権に関する憲法の条文がなぜ必要かを学び取ることに眼目があります。
また、感染症の脅威から社会を防衛するために、隔離などの人権の制限がたしかに必要になる場合があります。らい予防法のワークは、「どの程度までの人権の制限が、公共の福祉の観点からやむを得ないのか」という論点を考えるワークでもあります。らい予防法は既に廃止された法律ですが、コロナ禍における人権の問題にもつながる、極めて重大な論点を含んでいると思います。
ハンセン病問題の学習は、どの学校で実践しても強い反響があります。ショックを受け、良い意味で混乱する生徒も多いです。こうして育まれた問題意識は、法や人権について発展的な学習を進めるモチベーションになると思います。
次に、ハンセン病問題を知り、ハンセン病問題から学ぶことの射程や奥深さについて、掲載の了承を得られた二人の生徒の感想をもとに紹介したいと思います。これは、私の勤務校の一つである武蔵高等学校中学校で2020年7月に実施した特別授業「ハンセン病学習」(高校2年希望者対象、重監房資料館の黒尾和久部長によるオンライン講演)の際のものです(3で取り上げた授業ではありません)。
二人とも、ハンセン病問題を知ることによって、人権尊重の精神を学び取り、それを周囲の人と接する際や他の社会問題を考える上での糧にしようとしていることがよく伝わってくると思います。
二人目の生徒が言及している多磨全生園は、かつてはハンセン病患者の終生隔離の場でしたが、現在では人権教育の場として活用されています。現存する建物や設備、園内に残る史跡の数々、「人権の森」として整備された森、どれをとっても貴重な学習の素材です。敷地の中には国立ハンセン病資料館もあり、ハンセン病問題について包括的に学べます。(なお、「国立ハンセン病資料館YouTube」では、回復者による渾身の講話を視聴することができます。)
本コラムの結びとして、ハンセン病資料館で語り部を長らく務めた回復者の平沢保治さんの言葉を紹介したいと思います。
語り部として、わたしはいつも最後に、来館者にこう語りかけます。わずかな時間だけどハンセン病の歴史にふれて、どう思われましたか。いま生きているということに思いを寄せたことはありますか。いのちとはどういうものか立ち止まって考えたことがありますか。そういうことを少しの間でもいいから考えてほしい。この資料館は今あなたが生きているということを確認してもらう場でもあるんです。これからの人生のときどきに、今日考えたことを思い返し、自分の生きざまに重ねていってほしい―。
わたしたちは同情を求めているのではないのです。生きること、いのちの尊厳とは何かを考えてほしいのです。この資料館の展示品の数々は、そう叫んでいるのです。(平沢保治『人生に絶望はない―ハンセン病100年のたたかい』かもがわ出版、1997年、p.112)
平沢さんによる問いかけは、ハンセン病問題から私たちが何を学ぶべきかはもちろん、憲法・人権学習がどうあるべきかを考える上でも示唆に富んでいると思います。「公共」での憲法・人権学習は、ハンセン病問題に限らず、人権が蹂躙された歴史から人権尊重の精神を学び取ることに眼目が置かれるべきだと思います。