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公共 NEWS

2022年4月から始まる新科目「公共」は何を目指すか? 〜研究会レポート〜【講演編】

いよいよ2022年4月から高校公民科の新科目「公共」の授業が始まります。対話的、主体的で深い学びを目指す新学習指導要領の目玉として新設された公民科「公共」科目ですが、具体的にどのように展開していけばよいのでしょうか。

静岡県の高等学校社会科教育研究会が1月中旬、オンラインで研修会を開催しました。
前半では立命館大学稲盛経営哲学研究センター副センター長である倉石寛氏、そして同センター客員教授で元灘高校教諭でもある金井文宏氏による講演が行われ、後半では高校社会科の先生たちも加わって熱量の高い質疑応答が行われました。
現役の先生方がさまざまな角度から新科目の可能性を探ります。

まずは、倉石氏、金井氏の講演です。
公共の教科書制作にも携わった両氏が「公共」の目指す場所と、具体的な対話型授業の組み立て方についてお話ししてくださいました。

後編・質疑応答編

倉石寛氏 講演
「公共」は何を目指すか 〜「現代社会」を超えて〜

社会に参画し活動する力とは

倉石_
「公共」は、元文科副大臣の鈴木寛氏が10年ほど前から準備してきましたが、その最大の眼目は教育方法の転換です。これまでの知識注入型の一方的な授業ではなく、生徒が学ぶ主体となる教育を作っていこうという取り組みです。
1945年頃、社会科を中心に日本の教育を整えようとした時代がありました。そのときもこのような教育方法は作られましたが、徐々に現在のような知識偏重型教育に傾いていって今に至るわけです。つまり今回は、戦後以来の教育の大転換と言えます。もちろん歴史総合も地理総合も教育方法の転換を目指していますが、公共がその転換の核となる位置を占めます。

「教育方法」と聞くと、どちらかといえば授業のやり方やコンテンツなど教育「手段」と捉える方が多いかもしれません。でも、そういう手段の問題ではありません。
生徒が学ぶ主体となるのは教育本来の在り方であり、公共では「参画」それ自体を目標に置いています。
18歳選挙権にも関わりますが、高校生を社会を担う主体にどう育てていくかを主軸にした教育へと改革するという意味です。

文科省はこれまでもさまざまな改革を行い、大学入試というハードルの前ですべてつぶされてしまいました。最終的にやはり受験には知識が必要だったからです。今回の改革は、本番の大学入試改革も含んでいます。これは大きかった。

入試改革を考えはじめてすぐAO入試を3割に増やす案が出て、各大学の取り組みと同時に、高校・大学・自治体による協働学習の動きも出てきました。例えば、島根大学では地域貢献学科が創設されました。このような取り組みを文科省レベルでやったのが、SGHやSSH、科学の甲子園、マイプロジェクトなどです。企業でもソフトバンクが面白い尖った取り組みに奨学金を出すなど、社会全体が連携の動きに向かっていきました。その焦点が「公共」であったと思います。

OECDによる2030年を目処にした人間形成の目標「Education 2030」では、知識やスキルにとどまらず、人格、倫理、態度、資質、感情などからなる「人間性」や「異文化の人々への寛容さ」など、いわば学問とは何かという根源的な問いへつながる姿勢が基礎に置かれています。これらは過去の教育改革には入っていませんでした。

「Education 2030」をもとに作成。知識の土台として人格・倫理が重視されている

学校全体として、今は閉じた学びになっていないでしょうか。学校とは本来、社会と繋がるための公共の財産であるはずですが、現状は個人の地位向上のための手段となっている。これを私は「教育の私化」と捉えています。

公共では「何を教えるか」から「どのような力を育てるか」に学びが変わります。
ハンナ・アーレントは「活動する人間」という表現を使っています。どの時代であれ、自分で動けば秩序との衝突は避けられません。僕もかつて「今の教育を考える会」というのをやりましたが、会議でよく揉めたものです。しかし、惰性に流されず何かを変えていこうという活動でした。アーレントはナチスドイツの経験から、不平不満の表明の先にある、理解し、考え、活動する人間の必要性を説きました。それを作り上げるのは「主体的な学び」「対話的で深い学び」です。でも、対話的ってなんでしょう。対話的だったら深い学びになるのでしょうか。それとも対話的と深い学びは別なのでしょうか。

良い「問い」の重要性
議論とは違う、お互いの気づき・共創

生徒が調査や議論を行う討論(ディベート)の授業があります。
ディベートと対話は何が違うのかと質問が出そうですが、ディベート授業はスキルの向上に目的があります。公共で目指す対話的な学びとは、議論の方法やスキル、コミュニケーション能力を鍛えることが目的ではありません。

「討論」「議論」ではなく、「対話」と言っているのは、哲学者・花崎皋平先生が提唱した「響生」からきています。議論として向き合うよりも、語りながら相手の意見を引き出し共創していくイメージでしょうか。
暁星国際中学校・高等学校ヨハネ研究の森コースの授業も参考になりました。生徒2、3人で話すのですが、聞き手が話し手を「それで?」と促しながら本人が言語化できない部分を全員で形にし、可能性を現実化していきます。

つまり対話とは、学び合いで育つことです。身体全体のコミュニケーションなのです。ヨハネでは相手を信頼してモノが言える教室空間があり、それが対話を可能にしていました。

そのような場を作れるかどうかは、良い「問い」を作れるかどうかにかかっています。おそらくどの先生も授業の導入でやっている、テーマに対して何を思うかという生徒への問いかけです。
この「問い」は、生徒に身近だから良い問いというわけでもなく、たとえ身近でも私的なものでは共感を呼びません。共感でも自分との関わりにおいて大切なもの、そして本質的なものであれば学びは深まります。つまり、関係性と普遍性です。

例えば、「私」が大切に思う人々に大きな問題が降りかかる震災のような出来事は、私的な関係性を通じて気づきが広がります。私とあなた、私と皆、自分が関係を持つ人々に降りかかるからです。具体的な授業の場としてふさわしいのは、だから現場が一番です。でも、行くのが難しいなら関係者を呼んでもいい。

このように自分に関わる本質を深めていくと、その先で「なぜそうなってしまったのか、なぜ今はこのような社会になってしまったのか?」という問いに行きあたります。その時、歴史総合が登場します。

歴史学者の與那覇潤氏曰く、歴史問題はなかなか生徒たちが答えてくれないそうです。戦争の話をしても80年前のことだし、朝鮮や中国などの近隣諸国とは問題があるらしいとわかるが、昔のことだと流されてしまう。
しかし、現在の問題からアプローチすることで、過去にも遡っていけます。これを彼は歴史と公共の往還と言っています。

【参照記事】
https://www.kyoiku-tosho.co.jp/wp/news_list/1897/

最後になりますが、対話型授業が大事とはいっても、評価と入試の問題は先生方の悩みどころでしょう。
以前、僕の教え子に成績がいま一つの子がいました。賢い子だったんですが、学習意欲を失ってしまっていたんですね。その子が唯一興味を持っていたのは、僕が教えている日本史でした。だからなんとかそこにしがみついて大学に行ったんです。さて、いざ大学で歴史研究が始まると、高校での成績が振るわなかったとは思えないほど力を発揮しました。もう一人、生物が好きな子がいまして、今は鹿児島大学の生物の准教授になっています。彼らはそれ以外の科目は苦手だったけれど、興味を持てるものにはしがみついていた。

やっぱり意欲というのは一番大きいんです。興味が強ければ「勉強したい」という積極的な学びに繋がります。
灘高校で生徒を指導してきた経験から言えるのは、入試の出来を左右するのも最終的には意欲です。高校1、2年生では学習へ向かう気持ちを育ててほしいと思います。

金井文宏氏 講演
『公共』の授業展開事例(経済分野)~発言したくなり、議論したくなる問いを投げかける~

金井_
私はもともと現代社会の教員で、今は大学の教員として立命館の大学や付属校で授業をしています。そのような経験の中から、単なるロジカルシンキングではない「思い」を引き出し合う「問い」について話したいと思います。

実際の経済の授業を例に挙げてみます。
「物の値段」はどうやって決まるのでしょうか。現代社会の授業だったら需要供給曲線の説明に入り、需要量と供給量が交差したところで値段が決まる、と量の話題になります。しかし今回は、一人ひとりの「思い」によって値段は変わるという、ちょっと高尚な問題提起をしてみましょう。

私も倉石先生も神戸市民なので、1995年の阪神・淡路大震災は大きな経験でした。周囲の家屋が倒壊するなどいろんなものを見たのですが、驚いたのが、みんなが困っている時に水を売りに来ている業者がいたことです。
その業者は1.5Lのペットボトル水を1000円で売っていました。焼き芋業者も来ていまして、芋は1本5000円。でも、結構並んで買っている人がいたんです。ある人が「困っている時につけ込むな」と怒ったら、業者はそそくさ消えていきましたが。

どうでしょう。物資が行き届かない被災地に物を持ってくることは、売り手側にもリスクがあります。需要ある場所に必要なものを供給するのは良いことなんですが、この場合はどうでしょうかと問いかけます。

教科書に結論が書いてあることを「どう思う?」と聞いても、生徒から現実に即した意見は出ません。自分が業者だったら、自分が買う側だったら、と普段通りの自分として考えさせるのです。すると、物の値段とは需要と供給だけではないのかもしれないという視点が出てくる。被災地での高値販売は、たとえ需要があっても気持ちの良い商売ではないなと倫理感が働きます。

教科書的に説明するなら、アダムスミスの「見えざる手」や「道徳感情論」を持ち出し、商売する方も道徳感情があって市場経済が成り立っているんだねと一般論に戻すと思います。でも、ここで戻らない方が面白い。じゃあこの値段だったら高いじゃないか、これは安すぎないかと、疑問を広げてみてはどうでしょうか。
被災地には、物資を無料で配るボランティアから、リスクをとって来てるんだからと高い値段で売る業者まで、いろんな人がいます。「君なら、どうする?」と問いかけるのです。
大事なのは、物の値段はどうやって決まるんだろうとワイワイやることです。公共は自分の頭、自分の感性が動き出す教科なんです。

主体性の発動で
論理は一気に吸収できる

ペットボトル飲料に『お〜いお茶』という商品があります。今では珍しくありませんが、かつてペットボトルのお茶を買う人は誰もいませんでした。古き男性中心社会では、お茶はお弁当とともに主婦によって用意されるのが普通だったからです。1985年、男女雇用機会均等法の制定とともに女性の正社員率は上昇しました。その数年後にペットボトルのお茶が誕生し、コンビニで売られるようになりました。
『生茶』『伊右衛門』『綾鷹』、いろんな商品がありますが、『お〜いお茶』って特徴的な商品名です。なぜこの名前なんでしょう? これが問いです。

『お〜いお茶』の商品名の由来は?

『お〜いお茶』はベストセラー商品ですが、商品名は女性団体から問題視されているようです。夫が妻に「お〜いお茶(ちょうだい)」と声をかける様子が想像されるからでしょう。「お〜いお茶」という言葉が飛び交うようなかつての家庭的な雰囲気を欲する層に向けて考案されたのかもしれません。ネーミングから当時の家族観の名残も感じられます。

授業では、「君たちならどんなお茶ブランドを作る?」と持っていきました。たくさん儲けるために商売するという考え方も出るでしょう。経済では利益が大事だと言っていますから。目的も自由です。お茶というものをなぜ売るのか、どんな人に買ってもらいたいのかも自由に考えさせました。
生徒たちは自分にとって興味のある問いならば15分、20分与えても考えます。一方、面白くなければすぐにストップします。

いわゆる需給曲線を教えたいとして、教科書にある記述を読んだところで、生徒にとっては自分の中で実感もできず腑にも落ちないまま説明が進められていくだけです。ここで説明を一旦脇に置き、先に生徒たちが自分の意見を言いたくなるような「えっ?」と立ち止まるようなテーマを出せるかどうかです。
そこができればあとは若干説明的になっても問題ありません。生徒はすでに自分の問いかけが発動した状態なので、なぜ需要供給で価格が決まるのかの知識も吸収しやすくなっています。これがなければ、「需要供給が交差しているところで価格調整メカニズムが起こる」、この説明を暗記するだけですよね。

価格が高くて困るものは何かと尋ねると、今だったらガソリンでしょうか。「こんなに高くなったら車に乗られへん」とお父さんやお母さんが言うかもしれません。でも、地方で車は必需品です。新聞を見ると岸田総理はガソリン代が170円以上になったら補助金を出すと言っている。当然、なぜ170円なんだと疑問が出ます。そこで時事問題とも交差する。

値段は普通、量で判断します。需要が多くなったら値段が上がると説明します。けれども、実際はそうじゃないケースもいっぱいある。市場に任せてはダメなこともあるじゃないかと話し合ってほしいんです。
先生方に意識してほしいのは、生徒を揺るがすことです。公共は暗記する科目ではなく、皆の思いを耕す科目です。授業のメインはここにあると思っています。

教室の枠を超え、
地域・企業を動かす体験へ

次に、総合的な探究学習の例です。
北海道の市立札幌大通高校は午前・午後・夜の三部定時制です。こちらの高校は隣に札幌市の生涯学習センターがあり、大人たちがさまざまな学びを行っています。その特性もあるのか、学校では教科横断学習が盛んです。
高校の近くには北海道大学の植物園があります。150年前ほど前の北海道開拓前の原野を残し、百花園と言われるぐらい花のあふれる公園です。

大通高校では最初、生物の先生が屋上で養蜂を始めました。高校と植物園は距離にして1.5 km程度。屋上で飼われた蜂は、植物園に飛んでいって花の蜜をいっぱい持ち帰りました。このハチミツを食べてみたら、非常に美味しかったのです。
ビジネス科の先生が商品化したら売れるんじゃないかと提案し、ビジネス科の生徒たちに売る方法を考えさせました。次に技術の先生によって授業で巣箱が作られました。マーケティングの授業では、国語の先生が協力してくれてラベルやキャッチコピーを考案しました。それぞれの先生が自分の分野に引き寄せ、一つの総合的な探究学習、いわゆる「ミツバチプロジェクト」が始まりました。

ハチミツは、地元の札幌大通公園のお祭りで販売すると、大評判になったそうです。
放送部の生徒はメディアへのPR戦略を考え、地元の北海道新聞に連絡しました。大通高校のハチミツは有名になり、今では銀座の松屋百貨店で販売されています。とうとう一昨年、全国のハチミツコンクールで1位を獲得しました。

このプロジェクトは今や札幌市のプロジェクトになっています。たまたま植物園が近くにあり、たまたま養蜂が好きな生物の先生がいたのが引き金です。そこからラグビーのようにパスが積み上がり、10年経ったら巨大プロジェクトになっていたのです。

札幌大通高校のハチミツ。 キャッチコピーは「天然密食べ隊」

私と倉石さんもこちらの高校の勉強会に参加したことがあります。生徒たちがものすごく元気でよくしゃべるんですよね。
公共の授業は高校生が当事者として考えていくだけでも有意義ですが、これがプロジェクト学習になるとさらに生徒の主体的・対話的な学びが加速します。

先ほど倉石さんが「学校とは本来社会に開かれたものである」というお話をされましたが、実際に地域に出ていって学習することは非常に大切です。仕事を面白がっている地域の大人と関わることによって、授業が一気に社会とつながるからです。
なお、横断的な学習は各教科の先生達がプロジェクトを通してお互いをよく知り仲良くなるので、学校に行っても職員室の雰囲気が良いんですよ。教科横断型をさらに地域のプロジェクトにしていくと、学校全体が変わっていきます。

[後編へ続く]

 


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倉石 寛立命館大学稲盛経営哲学研究センター・副センター長、教育研究センター研究員

長野県生まれ。1971年大学紛争のさなか東大文学部を卒業。1971年から2010年まで灘中高等学校・日本史教諭、教頭。2011年から2015年まで立命館大学総長招聘教授・教育センター長を経て現職。

金井 文宏立命館大学稲盛経営哲学研究センター客員教授、元灘高校教諭

兵庫県生まれ。1976年東京大学教育学部を卒業。兵庫県立長田高校で公民科担当、教科書『現代社会』の共著者となる。(株)都市文化研究所・代表として、文化・環境・防災等のまちづくり事業に従事。立命館大学稲盛経営哲学研究センター客員教授。

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