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公共 NEWS

2022年4月から始まる新科目「公共」は何を目指すか? 〜研究会レポート〜【質疑応答編】

2022年度開始する「公共」の授業に向け、静岡県の高等学校社会科で開催されたオンライン教育研究会。
後半は現役の高校社会科の先生たちによる質疑応答です。
先生方からの率直な疑問に、前半で講演を行った立命館大学稲盛経営哲学研究センター副センター長の倉石寛氏、同センター客員教授で元灘高校教諭の金井文宏氏が答えました。
ファシリテーターは静岡県高等学校社会科教育研究会会長、静岡県立静岡東高等学校の鈴木伸彦校長先生です。

前編・講演編

社会問題を「生徒自身の問題」にするコツ

鈴木校長_ここからは参加者の先生方も加わり、質疑応答を行います。公共の課題や問題点、あるいはそこから派生する疑問などをざっくばらんにお願いします。

参加者Aさん_私は時事問題テストの製作会社に勤めています。お話を聞くと公共では教科書すべてを網羅的に扱うことは難しいと思いました。そうなると取り上げるトピックの選別基準はどうすればよいのでしょうか。もう一つ、教科横断学習のお話がありましたが、他教科の先生方とどう連携していくかという点についてもお教えいただけば幸いです。

金井_時事問題は当事者感覚を持てるかどうかが鍵です。例えば災害問題なら、この静岡県の自分の学校の防災対策(地震や噴火対策など)はどうなっているかという風に、一般的な問題を自分の問題につなぐ感覚を大事にしてください。社会科では、一見現代のリアルな問題を取り扱っているように見えて、心理的には遠い問題のことが多々あります。そうすると建前の議論になってしまい、生徒も面白くない。当事者として思いを語り合う場を作るには、気持ちが入りやすいニュースを選ぶと良いでしょう。当然そこには社会科的なアプローチもあれば、別の教科からのアプローチもあります。防災でも、家庭科ならば水や火がない中でどうやって料理を作るのかが問題になるかもしれません。まずは、生徒が自分の思いを語れるテーマです。そこを外さないことですね。

倉石_教科書作成時、迷った挙句に採用したのは大学入試の男女差別問題です。進学校にとっては身近ですが、かといって本当に身近になると、今度は利害関係が直接絡んでくるだけにしゃべりにくいということも起こるんです。このようなとき、自分事ではあるけれども、私的な話題で終わるのか、それとも社会全体の問題として取り扱うのか。関係性をはかりつつ、いかに議論を組み立てていくかを探る作業は、大変意義が大きいと思います。ある学校では、修学旅行先が沖縄に決まったことを機に、事前に沖縄の地方新聞を1カ月とって読んでみたそうです。すると高校生の中で沖縄やニュースへの見方が変わったそうです。生徒たちから、沖縄は遠い地域だからといって無関心でいいんだろうかという声があがってきたそうです。「自分と関係がある人」と思えるかどうかが大きいようですね。

金井_高校生には「食いつくテーマ」というものが存在します。それは地域や状況によっても違います。例えば灘高校だったら、生徒の過半数が医学部に行くわけです。なので、医学部入試問題は自分事です。そういうところはこのテーマをやればいい。一方、職業高校の生徒にとって医学部入試は自分事ではありません。自分の高校でどのテーマを選ぶべきかの判断は、最も真剣に行うべきです。でないと、たくさん知識を詰め込んだけれど、入試が終われば学びも終了となってしまう。生きる力や授業で接した知恵、例えばこの意見に対して彼が言ったあの思いとはこうだったんだと気づくこと、それらを得られるのが公共だと思います。一方的な知識の注入では、これまでの「現代社会」のままです。どれだけ詳しく男女差別や雇用機会均等法を取り上げても、使われないなら知識にすぎませんよね。

 

参加者B先生_私は2年生に政治経済を教えているのですが、教科書からテーマを見つけるのに苦戦しています。良い方法があれば教えていただければと思います。

金井_ご自分が興味のあるテーマでいいと思うんですよ。「今は教科書のこの単元だからこれ教えておかなければ」という姿勢だと、基本的に生徒は寝ます(笑)。先生が熱く語れば、生徒も熱くなります。

倉石_先ほど関係性と申し上げましたが、関わりってすごく大事です。人は必ず誰かと関わって生きています。嬉しかった、悲しかった、生徒は自分が関わったことに対しては何かしら思いを持っています。そして自分で何かをやってみたいという思いも必ずあるものなんです。それは生徒にとっての現実、本物ですよね。先生はそれを見つけるサポートをする。「作っちゃう」と、議論をしてもどこかにそれが出てしまいます。

金井_先生も生徒も、興味がないことはやらないほうがいいですよね。

 

参加者C先生_当事者性のあるテーマを設置し生徒の関心を引き出していくということですが、私の悩みは、最近の子どもたちはテレビすら見てくれないってことなんです。新聞をとっている家も少なく、では彼らが何を見ているかというとYouTubeです。自分が好きな狭いジャンルの短い動画にしか関心がない。世の中を知らなくてもそんなに困っていないような印象を受けます。そんな彼らの自分事にするには、どういう働きかけが有効でしょうか。また、テーマ型学習は魅力的ですが、確実に教えなければならない部分も存在し、試験対策とのバランスが難しそうです。

金井_本当におっしゃることは難問です。我々も大学でも教えていますが、TikTok で「『マンホールの上はダンスホール』が面白いよ、先生」と生徒が言うので見てみたら、言葉が出なかった(笑)。本当に瞬間、瞬間で面白いのを見ていますよね。我々も60代を超えているので、ずいぶんギャップが生まれているなと思っています。でも、見たらけっこう楽しめましたよ。話を本題に戻すと、例えばお金のこととか、これは高い安いという感覚だったら生徒も先生も共有できそうです。ゲームの値段、ゲームのマーケット、面白いゲームってなんだろう、でもいいかもしれません。我々の教員チームの中に、学生が勧めるものには必ず自分でもトライするという先生がいます。彼はもうそこから拾ってきて授業にするしかないと割り切っていて、本当にくだらないことまで若者の流行をたくさん知っています。本日ご参加の先生方はお若いから、生徒の生活感覚まで降りていって教材にできればいいですね。そして、このような場で発表してほしいと思います。皆さんが交流してネタの出し合いをしないと難しいと思いますね。

倉石_僕らがコンビニで感じることと高校生がコンビニで感じることは違います。値段の問題から商品の見え方まで、彼らには我々と違う世界があるんです。あるいはネットショップかリアル店舗かでも、捉え方は変わりますよね。関係性も捉え方も違う。その異なる世界にどう交わってどう意見を交換していけるのかというところですね。

 

参加者D先生_生徒たちの学力の素地についてお伺いします。本校においては中学の内容もあやしい生徒もおり、議論を展開したくても知っていることが少なすぎて難しいと感じるときがあります。やはり学校による学力差で授業にも差が生じてしまうんじゃないかと懸念しています。それについてはいかがでしょうか。

倉石_テーマ学習形式の授業の参加校を募ったら、地方の学校の方が「この議論をやってみたい」と手を挙げてくれたりするんですよ。入試にあまり関係ないからできるんだ、と。比較的自由に授業しやすいというのはあるみたいです。
5年ほど前に島根県西部の高校で授業をしたことがあります。卒業後は生徒の半分が就職、あとは専門学校か短大ということで、学力の素地は確かに低かったのです。その授業で、私が関わっているインドの学校支援の話をしました。資金を調達したいのだけれど、みんな知恵があるだろうか、これは授業用の話ではなくて本当に困っているんだ、と伝えました。するとグループ討論で白熱。各々の特技を生かした意見が飛び交い、先生が感激して秋の学園祭で発表させたそうです。「あんなに真剣な議論は初めて。生徒たちは、田舎の自分たちでも役に立つことがあるんだと思ったのでは」と先生はおっしゃいました。学校のことを知らないよそ者が来て、場違いだけれど助けを求めたというのが心を動かしたのかもしれません。「これをきっかけにしたい」と言っておられました。

金井_ロジックではなく、生徒の思いを大事にしてほしいと思います。我々は進学校だけではなく、農業高校、定時制高校、山間地域の高校などでも授業を行いますが、学力や立地によって生徒が生き生きしていないということはなく、むしろ活発なところも多いんですね。どの場所でも環境にあったテーマを拾うことができると思いますし、論理はあとでわかればいい。普通の社会科では、最初からロジカルに教えようとします。でも今は、ロジックが先行するとしんどくなる場合もあるようです。そういう転換が、今の時代の学力や人間のあり方ではないかと思うんです。思いを中心に彼らの日常からテーマを見つけるか、あるいは先生が一番思いを持って関わっていることをテーマに出すか、どっちかだと思います。

解決のための「公共圏」をいかに作っていくか

参加者E先生_来年度から公共を担当する可能性があるので、研修を受けました。私はもともと世界史専門ですが、歴史総合は歴史の「学び方」を学び、やがて日本史探求や世界史探求に飛び立っていく科目だと捉えています。そういう意味では、公共は「対話」の仕方を学んで政経や倫理に飛び立っていくという理解でよろしいでしょうか。

倉石_それでいいと思います。僕らが教室を作ったときも、テーマ学習中心で知識的なものは一番後に置いておいたんですね。というのは、生徒は好きになれば勝手に勉強するからです。これまで見てきた経験では、議論や対話の中に自然と知識的なものが出てきたら、自主的に勉強に入っていきます。逆に、この範囲の知識を叩き込めと言っても、本人に興味がないととても難しい

金井_対話という面で言えば、具体的でリアルなテーマだからこそ、あの子があんな考え方をするんだということが発見になるようです。そういう話し合いの場を作ることが一番重要です。歴史総合のように学び方を学ぶのとはちょっと違っていて、「公共という場の作り方」を学ぶという方が近いかもしれません。

対話的理性の重要性を説いたドイツの社会哲学者ハーバーマス

参加者F先生_フィールドワークの進め方を教えていただきたいと思います。例えば環境問題ですと気軽に現場や地域に見に行けるのですが、福祉分野では難しさを感じています。車椅子ユーザーやLGBTQの問題などはできれば当事者の方を呼んでお話を聞きたいので、自治体や生涯学習センターの先生と繋がれたらと考えていますが、そうなると教員自身のコーディネート力、ファシリテート力も必要だと思います。しかし、なにぶん業務も多忙で時間的余裕もありません。

倉石_その現場の人は一番問題が見えているので、来ていただけたらベストですよね。ただ、いつもはできません。僕がいた高校の場合も、地域で大きな問題になっているとか、自分がその問題に関わっている場合に当事者の方に来てもらったりしていました。在日の方、外国人の先生、障がいのある方など、知り合い経由でもいいと思います。ただ、企画は個人的なものではなく、学校全体で共有した方がいいですね。周りの先生を巻き込み、「今年はこのテーマでみなさんに考えてもらいたい」と希望を表明すると、学校側も協力しやすいと思います。あとは大学のサポートです。特に私立大学なんかは、学生へのPRの意味も含めて結構協力的ですよ。そういう人々にコーディネートを助けてもらいましょう。

 

鈴木校長_チャットでも質問が来ました。「通信制ではレポートを通じて自学自習を中心としておりますが、紙を通じての学びを対話的で深いものにするにはどうしたらよいか」という質問です。

倉石_通信制の学校の先生方は、スクーリング(対面授業)をもっと工夫したいとおっしゃいますね。例えば、1カ月に1回でもいいのでみんなが集まる場を制度として作っていくのも良いと思います。先生方曰く、普段会えない分、余計に短い時間でも充実感があり楽しい授業になるそうです。

金井_ Zoomなどが可能なら当事者の方を呼ぶこともできますね。それも難しい場合、紙媒体であっても面白い問いかけや資料があれば大丈夫だと思います。やはりテーマが面白いかどうかが重要ですね。

関係性の中で生まれる新しい「私」

参加者G先生_公共の概念を我々はどう捉え、どう生徒と共有していくのか、個人的に非常に難しく感じています。「私」の利益や都合を少しだけ抑えて全体の利益を優先させるという考えは、行き過ぎると全体主義的な感覚に陥るような気もします。公共的空間を作り参画していくことを意識しているのはわかるのですが、公共という言葉を我々はどう捉えたらいいか、ご教示いただければ。

倉石_授業で先日、日本は「世界の人助けランキング」で下位であるというテーマを扱いました。しかし、日本の若者が人助けの感覚を持っていないかというと、そんなことはない。ではなぜかといえば、政府・自治体・行政以外の場所で、いわゆる公共圏といえるような民間団体というのが日本には少なかったからじゃないかと思うんです。日本の高校生は、他校の高校生同士とか地域の大人と一緒にとか、学校や家族から離れて社会的な何かに関わる場があまりないですよね。公共科目の特徴は、生徒がいろんな形で身近な共同体に関わり、自分たちの経験を積んでいくところにあるのかなという気がしています。

金井_仏教用語で自利・利他という言葉がありますね。自利、自分の悟りを得るエゴは悪いものではないはずですが、日本には自分のエゴを主張しにくい土壌があります。その意味でも、公共圏という自分の意見を表明できる場は大切にしたいと思うんです。お互いがお互いの都合もある中、弱い立場の人たちの声も傾聴しつつ公共圏を作っていきたい。ではどう話しあい、決定していくのかと。このプロセスが公共ではないでしょうか。先ほどから我々は対話ということを繰り返してきました。意見を表明し合い、違う視点を認め、その上で自分はこういう意見を持ち、自分の利益も守られる。そういうコンセンサスを一緒に作っていく。この作業を授業を通して訓練してほしいのです。

参加者G先生_自由に議論を進めながら落としどころを探っていくような活動を目指すということでしょうか。

金井_合意形成をデザインしていくということですよね。「市民的公共圏」なんて書いてありますが、生徒会でも部活動でも何でも同じだと思います。自由に意見を表明していいんだという心理的安全性というか、共同体的な優しい空間を作ってほしいと思います。教員の重要な役割としては、立場が弱めの子でも意見を言える場というのを意識してほしいですね。

倉石_学校は比較的いろんなことができる場所です。そこに身内だけで集まるのではなく、他者に呼びかけて目的を持って一緒に何かを達成する意義は大きい。部活でも、学校や指導者が決めたからやるのか、自分たちが勝ちたいからやるのか。人間は自主的に何かを考え行動する時、初めて人を尊重する気持ちが出てくると思います。

 

参加者H先生_大通高校の事例には胸踊らされるものがありました。本校に集まってくる生徒には不登校などを経験している生徒もおり、以前はこのような積極的な活動は難しいのかなと思っていました。しかし先日授業見学をしたとき、商業科の先生と生徒がチャットでやり取りをしていたんですが、生徒が結構いろんな意見を述べていたんです。あれ、捨てたもんじゃないのかもと思いました。今回の研修を参考に、是非いろんなことにチャレンジしてみたいと思います。

鈴木校長_最後のこのやり取りが、公共という新科目の本質を語っているように思いました。個人から、地域や社会へ参画していく態度を作る。そして、自利・利他という言葉がありましたけれども、自分を主張して他者と合意を醸成していく。このプロセスを軸に教科の目的を理解しテーマ学習を進めていくと、良い組み立てになると感じました。

〈了〉

 


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倉石 寛立命館大学稲盛経営哲学研究センター・副センター長、教育研究センター研究員

長野県生まれ。1971年大学紛争のさなか東大文学部を卒業。1971年から2010年まで灘中高等学校・日本史教諭、教頭。2011年から2015年まで立命館大学総長招聘教授・教育センター長を経て現職。

金井 文宏立命館大学稲盛経営哲学研究センター客員教授、元灘高校教諭

兵庫県生まれ。1976年東京大学教育学部を卒業。兵庫県立長田高校で公民科担当、教科書『現代社会』の共著者となる。(株)都市文化研究所・代表として、文化・環境・防災等のまちづくり事業に従事。立命館大学稲盛経営哲学研究センター客員教授。

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