私たち教育図書株式会社は、中学校・高校の教科書や教材を出版している会社です。 教育図書NEWSは主に学校の先生や教職関係者のみなさまに向けて、教育に関する独自の記事を発信しています。すべて無料でご利用いただけます。
教育図書では2022年度より高等学校で始まる公民科の新教科「公共」の教科書を発刊します。すでにホームページで情報を公開していますが、教育図書NEWSでは執筆者による詳しい解説記事を配信していきます。
本稿では経済の分野を執筆いただいた橋本想吾先生(慶應義塾高校)の論稿をお届けします。教育図書の「公共」は「テーマ学習」という課題探求型、対話型授業を想定したページを多数掲載しています。実際の教科書ページを例に、授業実践のポイントを解説してもらいました。ぜひご一読ください。
目次
「公共」の教科書を初めて手に取る高校生の中で、貿易交渉や社会保障など経済的な問題に初めから興味・関心がある、という生徒は必ずしも多くないように思います。その理由として、身の回りの経済現象について「なぜ?」「不条理だ!」「こんなのおかしい!」と心を動かされる機会が少ないということがあるでしょう。
これまで教科書の長所は、知識が体系的に整理されている点にあったため、授業を面白くするためには現場の先生方が教科書の「行間」を勉強し、魅力的な発問や解説を吟味する必要がありました。そこで教育図書の「公共」教科書では、社会的な課題が「今・ここ」にあると感じられる工夫を随所に施し、生徒が自然と考えたくなるよう発問やトピックスを各単元に多く設けました。
知識・教養編では、「なぜ?」を問うことで生徒の知識欲を刺激し、楽しみながら知識を身に付けられる授業展開を可能にします。テーマ学習編では、年金財政や貿易交渉など今まさに議論されている現代的な課題を、単元を貫く学習課題として真正面から扱いつつ、生徒の目に「問題」が見えてくるような具体性に富んだ記述を心がけました。さらに、テーマ学習編では「議論」につながる問いを設けることで、生徒自身が主体的・対話的に「問題」の解決を目指しながら思考力や判断力が鍛えられてゆく構成となっています。
このように、教育図書の「公共」教科書は従来の発想に囚われない新しい公民科の教科書です。教師用指導書では、教育図書の「公共」教科書を活用した授業展開の紹介、知識・教養編で使える「問い」とその解説例、テーマ学習編における議論の組み立て方と学習評価の方法などを丁寧に示し、授業準備から学習評価までを一括して支える工夫を充実させました。授業において、ぜひこの教科書を活用していただきたいと思います。
本コラムでは、教育図書「公共」及び教師用指導書を活用して「眠くならない経済分野の授業」をどう実現できるか、具体的な授業のデザインを紹介します。
経済分野の授業ではじめにぶつかる難題が、抽象的な仕組みや用語をどう面白く解説できるか、という点だと思います。この難題を解決する方法として、身近な題材を用いつつ生徒が普段考えないような視点で「問い」を立て、仕組みや用語の説明が聞きたくなるように授業をデザインする、というアプローチがあります。
そこで教育図書「公共」では、教師用指導書の中に「説明」が聞きたくなる問いと解説例を豊富に用意しました。以下の表1は、教育図書「公共」の教師用指導書に掲載する予定である発問例を単元別に抜粋したものです。
表1 「説明」につながる問い
例えば表1の①「なぜ転売されるコンサートチケットは高額になりやすいのか?」は、身近な事例でありながら、知識を通じて生徒に「目から鱗」の視点を与えるための問いです。教師用指導書では「チケットの転売価格が上昇する原因は、①チケットへの需要が高まり、需要曲線が右にシフトする、②チケットの供給量が減少し、供給曲線が左シフトする、のいずれか(あるいは両方)である。転売されるチケットの価格は需給が一致した均衡価格であるため、一見高額に感じられても、ある意味では適正価格である。」という解説例を掲載する予定です。
さらに表1の②「なぜ新薬を開発した場合には、独占販売が合法的に認められるのか?」は、教科書の本文では言及されない「例外」を通して、用語への多面的な理解を促す問いです。教師用指導書では「1つの新薬が開発されるまでには長い年月と高額の研究資金が必要である。もし、新薬を開発しても市場を独占することができなければ、開発に要した費用を回収できず、新薬を開発するインセンティブが失われる」という解説例を掲載する予定です。
このように、教育図書「公共」では、問いを通じて知識の習得が面白く感じられる工夫を随所に施し、テーマ学習にたどり着くまでに生徒の興味・関心が失われてしまわないよう心がけました。
新学習指導要領によれば、「公共」では知識伝達型の授業だけでなく、知識を活用したり「見方・考え方」を働かせたりして、思考力や判断力を鍛える学習活動が期待されています。どのようにすれば、経済分野の学習に「議論」を取り入れることができるでしょうか。
教育図書「公共」のテーマ学習編では、生徒が自発的に議論したくなるような授業になるよう、時事的かつ論争的な問題を提示するようにしました。以下では経済分野の中から2つのテーマ学習を取り上げて、具体的な授業実践のデザインを紹介します。
1例目は、「国際経済」の単元に対応したテーマ学習です。ここでは、経済のグローバル化における「効率」と「公正」が生徒の議論に補助線を引くための見方・考え方にあたり、「国際貿易」や「農業政策」が学習内容(知識)にあたります。そして、「コメは『国産』にこだわるべきか」という問いが学習内容と見方・考え方をつなぐ「問題」(学習課題)です。
【テーマ学習】 コメは「国産」にこだわるべきか?(国際経済)
まず冒頭で、外国産米の品質が向上し、専門家による食べ比べ調査では、国産米と外国産米の間で味への評価がほぼ同等だった、という結果[注1]を紹介しました。これは、「外国産米は美味しくないから輸入するべきではない」という印象論に疑問を呈し、別の観点からの議論が必要であることを実感させるための工夫です。コロナ禍が収束すれば、実際に国産米と外国産米を食べ比べさせるところから授業をスタートさせても面白いです。
次に、比較優位の考え方に沿った場合にどのような結論が導かれるか、という問題提起をしました。もし稲作が日本にとって比較優位な産業でない場合、日本はコメを海外からの輸入によって賄うべきだ、という主張が比較生産費説から導かれるでしょう。この辺りまで授業を展開したうえで、「日本政府はこの考え方に賛同するだろうか?」「農家ならどう考えるだろう?」等と質問すれば、生徒の目に「問題」の複雑さと奥深さが見えてくるでしょう。このようにテーマ学習は、議論の中で言及すべき論点にふれながら、生徒に絶えず疑問と葛藤を与える内容となっています。
「コメは『国産』にこだわるべきか」というテーマが議論に適している理由は、問いに対する主張や結論が立場や目的によって異なるからです。例えば、コメを消費する家計の立場で考えると、コメの関税撤廃は安価で高品質なコメの供給を増加させ、資源配分の効率性を改善します。一方で、コメの関税撤廃によって経済的な打撃を被る可能性がある生産者の立場で考えると、経済のグローバル化や関税の撤廃が必ずしも公正であるとはいえません。日本政府は、これまで誰の主張をどのような根拠に基づいて重視してきたのでしょうか。日本の未来にとって、コメは今後も日本の「聖域」であり続けるべきでしょうか。
このようなテーマ学習では、議論のあとに何らかの根拠に基づき必ず結論を出す、ということが極めて重要です。自己と他者との違いを意識しながら論点を吟味し、結論を導く過程こそが、課題追究的な学習で鍛えたい思考力や判断力を伸ばす鍵だからです。
注1 日本炊飯協会が実施した食味検査についての記事が、日経ビジネスで掲載されています。以下、危うい幻想「日本のコメは世界一」:日経ビジネス電子版 を参照。
テーマ学習の2例目は、「市場経済」の単元に対応したテーマ学習です。本テーマ学習では、市場経済における「効率性」と「公平性」が見方・考え方にあたり、「市場メカニズム」や「情報の非対称性」が学習内容(知識)に該当します。そして、「望ましい転売対策は何か?」という問いが学習内容と見方・考え方をつなぐ「問題」(学習課題)です。
【テーマ学習】 コンサートチケットの不正転売は防げるか?(市場経済)
私が勤務校でこの実践を行ったとき、生徒から実に多くの提案が示されました。代表的な意見は①法的な規制を強化する、②本人確認を強化する、③ファンクラブ内で定価での譲渡を公認する、④オークションによる販売を行って価格を引き上げる、という4通りでした。①・②・③は効率性の観点について課題があり、④は公平性の観点で配慮が必要です。
テーマを与えて議論をさせようとすると、議論が停滞したり、安易な方向へ流れそうになったりする瞬間が必ずあります。そのような場合には教員が議論の相手となり、生徒の意見や考えをあえて揺さぶる切り返しをすることで、検討すべき論点を浮かび上がらせることができます。例えば①法的な規制を強化する、という意見に対しては「政府が市場に介入することの問題点は何か?」と切り返すことで、法規制によって資源配分の効率性が損なわれる、という新たな視点へと議論を展開できるでしょう。あるいは④オークションによる販売を行って価格を引き上げる、という意見に対しては「なぜ多くのアーティストはオークションでチケットを販売しないのか?」と問い返すことで、市場メカニズムを公平性・公平感の観点から批判的に吟味させることも可能です。
このように本テーマ学習は、議論を通じて目の前の問題にアプローチする視点を増やし、生徒自身が「望ましい転売対策は何か?」という問いに対する「最適解」を判断する際の材料を提供する、という構造になっています。教師用指導書では、授業展開の具体的なフローに加え、上述したディスカッションでのポイントを具体的に明示し、教員側の準備にかかる負担を軽減します。
【教師用指導書①】 「コンサートチケットの不正転売は防げるか?」の授業展開例
テーマ学習の醍醐味は、生徒と教員の関係がフラットになる瞬間が多いことです。特に生徒にとって身近なテーマであるほど、教員が知り得なかった知識を彼ら彼女らは持っています。転売対策に関する実践では、売り手がダフ屋を見分ける(情報の非対称性を改善する)方法を調べさせた際に、ある家電量販店がエヴァンゲリオンのフィギュアを購入しに来た来店者に対して、フィギュアの正式名称を空で言えない場合は転売目的とみなし販売を拒否した、という事例があったことを教えてもらい大変興味深かったです。
教育図書「公共」では、「議論」の成果を評価するためのレポート課題・評価規準の作成にも力を入れました。課題追究的な学習の成果を評価する方法は、授業の理解度を評価することを目的とするか、見方・考え方を働かせた思考力・判断力・表現力を評価することを目的とするかによって異なります。
教師用指導書では、授業の理解度を確認するための課題として、「授業で紹介したコンサートチケットの販売方法について、それぞれの長所と課題を、効率性・公平性の観点と関連させながらまとめなさい」という課題を掲載する予定です。一方で、思考力・判断力・表現力を評価するための課題として、「あなたがアーティストならば、どのような方法でコンサートチケットの販売を行いますか?」という課題を掲載する予定です。
【教師用指導書②】 「コンサートチケットの不正転売は防げるか?」 評価方法の解説
特に後者の課題については、採点規準として(1) 販売方法を選択する際に、効率性と公平性のどちらをより重視したかが根拠とともに論じられている、(2) 選択した販売方法のもとでどのような懸念点・課題点があるかが論じられている、(3)(2)で挙げられた懸念点・課題点への対応策が具体的に提示されている――という3点を掲載する予定です。
(1)は主張が論理的に組み立てられているか否かを評価する規準であり、(2)・(3)はチケットを配分する際に効率性と公平性を両立させるための工夫が具体的に考えられているか否かを評価する規準です。もちろん、こうした規準は生徒の実態や採点者が重視したい項目に合わせて、柔軟に調整する必要があるでしょう。正解が1つに定まらない課題を出すうえで重要な点は、採点規準および出題意図を予め生徒に明示し、採点の透明性を担保することにあります。
本コラムでは、教育図書「公共」および教師用指導書を活用した「考える公共」の授業デザインと学習評価について紹介しました。手に取ってくださる生徒・教員の学びが少しでも豊かになることを祈りつつ、私自身もよりよい授業のあり方を模索し続けていきたいと思います。
(了)
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